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029月/21

静岡豪雨での活動について

7月8日〜8月3日を一つの区切りとして、静岡県社会福祉協議会からの要請にもとづいて活動をしてきました。

被災された方の再建サポートとして設置された「地域ささえあいセンター」も、ニーズ収束に伴い、緊急体制から継続的な関わりの体制へと移行しています。

沼津市での活動の報告と、現地で分かった課題についてまとめました。

被災した方へどうやって支援を届けていくのか枠組みを相談、地域ささえあいセンター全体の運営支援として、沼津市社協や静岡県社協に対してアドバイスなどサポートをしました。

現地調査で気をつけて見るポイント、ニーズの拾い方、家屋再建の具体的な手順、など実働の部分をサポート。ノウハウの提供によって、地元社協だけでの運営ができるようにと考えました。

今後発生する課題を提示したり、福祉ニーズと呼ばれるような個別支援が必要な案件の今度の方針を確認するなど、被災エリア全体の課題解決について細かく詰めたり、目の前の問題解決だけでなく、長期的な被災地の歩みを視野に入れながら、助言・ノウハウ提供ができました。

また、同じく要請に基づいて現地入りした愛知人と沼津市社協が連携を取れるように間をつないで調整。現調でささえあいセンターでの対応が難しいと判断したニーズに対応してもらう流れを作りました。迅速な対応のおかげで、現在技術ニーズ(床下の土砂・断熱材撤去や床下乾燥が必要なニーズ)はほとんど対応完了したようです。

被害規模とその対応沼津市の被害件数は、甚大と判定される規模ではありませんでした。被害規模の影響もあったのか、沼津市では災害対策本部が設置されませんでした。

このため災害対策本部と関連する「災害ボランティアセンター」の設置が難しく、最初の課題となってしまいました。

被災されて困っている住民がいるのには変わりないとして、関係者で協議の結果「地域ささえあいセンター」という名称で沼津市社協が被災者対応の基盤を作ることが決定。

後半に言及する「災害救助法」についてもそうですが、被害規模が甚大でないからこその課題を改めて感じました。

借家問題

今回、アパートなど多くの借家も被害を受けました。窓口対応をしていると、家のアパートが浸水して、住人は2階に避難しているの、などという大家さんからの相談も目立ちました。

借家の持ち主はもちろん大家さんなので、家屋の復旧は大家さんの権限の範囲ですが、家の中の物は住人の物です。

濡れた家財などの廃棄、家財搬出は住人と協議、壁剥がしや床下の対応については大家さんとの協議が必要です。

家の中といっても、壁や床など家屋の構造は大家さんの持ち物なので、濡れた畳の処分などは大家さんの了解がないと進められません。

「このアパートは取り壊すつもりだから、壁や畳はそのままにしておく」「濡れた畳も乾けば使えるのではないか」などという大家さんの方針により、濡れた畳の上で生活されているケースなどもありました。

こうした住人と大家との課題は、他の被災地でもよく発生します。

両者のコミュニケーションが上手くいっていれば問題ありませんが、そうした普段からの関係なども影響します。特に、古いアパートなどだと、退去してほしい人と住み続けたい人との対立などにもなってしまいます。

多機関で関わり、いろいろな制度や法律を活用しながらの対応が求められました。

静岡県の備え

静岡県では、南海トラフ沖地震の発生に備えて、行政や社協民間団体などによる訓練が毎年実施されています。

一年に一回開催され、県内の関係機関が一堂に集まる機会が持たれています。昨年で15回目、つまり15年にわたって続けられています。それだけが原因ではないはずですが、県社協と市社協、市社協同士の交流が盛んな印象を受けました。

報道の光と影と被害件数

熱海の街が土石流に飲み込まれるショッキングな映像が、繰り返し放送されていたのは記憶に新しいでしょう。
あれらの映像によって、熱海が一番注目を集めましたが、沼津市を含めて被害は各地に発生していました。

沼津市の被災も、床上浸水件数は150件にのぼります。
その割には、ニーズの件数は少ない印象もありました。近くの熱海であんなに大変なことになっているのに、床下に水が来たくらいでは相談できないよね、という声もありました。

逆に、熱海市では注目が集まったことによる問い合わせ対応など、負荷がかかっていたとも聞きます。

被害規模・件数と被害の特徴、そして現地の状況を踏まえた報道や情報発信が求められます。

災害救助法の適応

災害救助法とは、災害発生後の応急期の応急救助に対応する主要な法律。
避難所の設置や仮設住宅の手配など、災害から国民を守るための行動の予算根拠です。

人口と被害件数の割合などによって、適応か否かが決まります。

適応されれば、災害応急復旧などの経費を国庫などから支出され、市町村の負担がなくなります。最近は、この災害救助法の弾力的な運用が進み、例えばボランティアセンターで必要な備品なども、国庫から捻出できるようになってきました。

しかし今回の沼津市の被害は、この災害救助法の適応外でした。

適応外になってしまうと、避難所の経費が市町村の自己負担になってしまうだけでなく、例えば応急修理制度や、被災者生活再建支援法など、被災者個人が家屋再建のための足がかりとするような支援制度も適応できなくなってしまいます。

今回、被災された方が自宅を修繕するには、個人がかけている保険や、個人の蓄えのなかで賄う必要があります。義援金や別の枠組みのお見舞金などが支給されるという話もありましたが、合計額は数万円だということでした。


応急修理制度も、被災者生活再建支援法も、それぞれが生活再建をしていくには足りず、現状に合わない部分があるという点は前から指摘がされています。

罹災判定の細分化など、改定なども重ねられていますが、今後もこうした制度活用面での課題などは議論していかなくてはなりません。

ITを使ったセンター運営

今回、ささえあいセンターの運営管理として、キントーンが使われました。実は静岡県社協で準備していたものがあり、それを活用した形です。

ニーズ情報や活動情報、ボランティア募集など、情報をオンライン集約していました。ただ、どうしても現場に合わないところもあり、改良が必要です。

今回は、比較的被害規模が大きくなかったので、お試し運用ができました。もう少し改良が重ねられれば、被災地での大きな力になるのではと思いました。

ただ、IT活用のためには、ソフトウェアだけでなくハードウェアの整備も必要です。社協というある意味アナログな組織との相性はあまり良いとは言えません。ハード面の整備支援など、今後IT化が進むと同時に必要な支援の領域が増えるなとも感じました。

138月/21

避難判断のリンク集

前線の停滞によって、西日本豪雨に匹敵する雨が降るおそれという予報があります。
既に各地で記録的な豪雨になっていて、被害が発生しています。
20日頃まで降り続くという予測もあります。
ここからさらに大きな被害が発生する可能性が高い状況です。
現在まとまった雨が振っていると報道されている広島県や九州以外でも、大きな被害の危険性があります。
ここから1週間は、本当に大切な人の命を守る選択をしてもらいたいと思います。

そのための情報収集ができるリンクをまとめました。

常に最新の情報をチェック

気象情報(ウェザーニュース)
気象庁キキクル
川の防災情報:河川カメラなど(水害リスクライン)

国交省ハザードマップ

地震と違って、大雨はある程度予測ができるものです。
コロナ禍のデルタ株拡大もあり、感染症対策も十分注意が必要です。

空振りだったらどうしよう、とは考えず、避難訓練、素振り避難のつもりで早め早めの避難をしてもらいたいです。水害や土砂災害が起きる場所は、ある程度予測がされています。

「まさかこんなに水が来るとは・・・」という過去の被災地でも、ハザードマップを見ればしっかり色がついていることがたいていです。

避難準備のために

国人住民のための防災パンフレット(やさしい日本語、英語、中国語、韓国語、ベトナム語)
災害時に便利なアプリとWEBサイト(多言語)
コロナと災害 避難はどうする?(NHKサイト)

もう一つ、現在コロナ患者さんの自宅療養が増えているはずです。
コロナ自宅療養者について、どのように自宅療養者の避難先を確保し移動してもらうのか、は各市町村によって手法が違うようです。
自分の市町村や保健所の情報・対応を確認しておく必要があります。
(無症状の方はともかく、高熱など重い症状が出ている人にこうしたことをお願いするのは現実的でないかもしれませんが)
まずは、なにも起こっていないときに、陽性と診断されていないときに、自分の市町村の情報を確認することが必要です。

例えば大阪市熊本市

どんな方であっても「避難できない」ということがあってはいけません。
外国人でも、ホームレスでも、コロナ陽性者でも。

まずは、気象情報の確認を。
そして、お住いの地域のハザードマップを確認。
安全に避難できるように、持ち物や避難場所、避難方法の確認を。信頼できる情報をしっかり入手して、もしもの時を細かくイメージして、今できうる対策を、ぜひ。


078月/21

人吉・長野レポート【7月】

人吉市

「令和2年7月豪雨」発災から1年の月日が流れました。

1年が経過した現在、多くの復旧作業が進む中でも被災地の景色は至る所に残っています。

ニーズの対応

災害VCニーズ、NPOニーズ、それぞれ数は減ってきたもののちらほらと新しいニーズやご相談のお電話がかかってきます。1年という月日が経っても、目に見える傷跡も見えない傷跡も、残ったままです。様々な事情とお悩みに寄り添いながら1件1件対応しています。

地域のコミュニティー支援

「畑」に関わることが多かった7月。

大柿地区で始めた地域の畑、住民さんにご指導いただきながら一緒に耕し育てた夏野菜たちは大きく成長し、ほんの一部ですが収穫もできました。

夏本番に入った今、野菜とともに元気に生える雑草、畑のための看板作成、学生たちが一生懸命向き合っています。

連携団体:一般社団法人ピースボード災害支援センター/ おれんじぴーす

技術系団体、社協そして地域との連携

もうひとつの畑は被害が酷く、そして持ち主だった方が水害により亡くなられた場所。

譲り受けた新たな持ち主さんは、無農薬野菜等を育てる場として、学生たちの農業体験の場として、復活させたいとのことでした。

一面に広がる畑には埋まった瓦礫、災害ゴミ等色々です。

撤去作業を技術系連携団体と、社協と協力しながら連日行いました。

また持ち主さん、そして社協から地元の高校生へと声をかけていただき、畑で地元高校生が作業をする姿も見られました。

地域再生の象徴、その中の1つとなる場所だと感じます。

協力団体:友救の会 / め組 / 熊本支援チーム / 一般社団法人ピースボード災害支援センター / 人吉社会福祉協議会

 

長野

何度か長野市に大雨、洪水警報などが発令される事はありましたが、昨年より16日も早く梅雨明けした長野には、短い夏が始まりました。

私たちがベースとして使わせていただいていたお宅もあっという間に解体が終わり何もなくなってしまいました。ご近所の方もなんだか寂しそうでしたが先に進むための一歩です。

かりぐらし

流動的に人の流れがあったかりぐらしプロジェクトですが、今月はその流れも落ち着き、福祉の道を目指す方へは、長野県社会福祉協議会からのサポートにより福祉に関わるお仕事をご紹介させて頂いたり、今後の生活に向けてのお仕事を希望される方へは、アルバイトでの仕事を紹介させていただき、少しずつですがそれぞれの方が動き始めました。

今後も私たちの出来る範囲で長野の人とのつながりを作ったり、生活面でのサポートをしていきたいと思います。

ワークライフ組合サポート

7月に入り雑草の成長は、先月までの倍以上に進んでおり、長沼ワークライフ組合でやるべき箇所も一気に増えました。

しかし、この時期は農家をされる方も忙しい時期となり、ワークライフ組合では人手が不足し、役員の方々の負担が大きくなっていました。一斉活動日を数回設けて、ボランティアさんに参加頂きながら活動となりました。

常駐できるコーディネーターや事務局員がいれば、流れが良くなり、役員さんの負担も減り、ニーズの把握や事務の処理が円滑に進むと思うのですが、外部である私たちが出来るサポートは、今のところボランティアさんのコーディネートや情報発信などです。役員の方に負担がかかりすぎないようにサポートしています。

長野県社会福祉協議会さんとの連携

先月より長野県社会福祉協議会さんと連携をさせていただき、ワークライフ組合サポートと長沼・豊野地区のサポートに加えて、農業と福祉の連携、”農福”でも関わらせて頂いています。

福祉事業所への訪問やその道のプロフェッショナルの方との面会を数度させていただきました。

兼業農家の方が多く、たくさんの方を一度に雇用するのは難しいという農家さんの声がある一方、福祉事業所では、3名以上での雇用でない場合、職員を同行するのが難しいく、職員の同行なしでは利用者を就労につかせることが出来ない。

農家の方の求める事と福祉事業所の方の求める事との違いをどう埋め合わせて行くかが、大きな課題となっています。

また、長沼地区サポートにおいては、災害による急激な人口の流出が大きな課題になっており、住民の方に寄り添いながらコミュティーの再生方法の検討を始めています。

ふらっと農園

ふらっと農園では、夏野菜たちがたくさん実っています。ふらっと農園で栽培していない夏野菜は、お隣の畑の方が下さったり、お隣の方が植えていないお野菜をお裾分けさせて頂いたりが出来ています。

また、農園で獲れたり、頂いた野菜を各地で活動される団体の方へ支援させていただく動きも始まりました。

草との戦いは、凄まじい7月でしたが地域の方からふらっと農園があるから、共有家庭菜園に出て来る住民が増えたような気がするという嬉しい声を頂いています。

 

静岡豪雨対応

7月頭からの豪雨により、関東・東海地方で被害が発生しました。
これにより、静岡県社会福祉協議会から要請があり、沼津市で活動を実施しました。
静岡県での活動の詳細、現地での課題などは別途まとめる予定です。

167月/21

災害対応中のボランティアセンター一覧*7月19日更新

現在開設されているボランティアセンターの情報をまとめました。
ぜひ、お近くにお住まいの方、お知り合いがいるなら、情報をシェアしていただけると良いと思います。

 

*地図上のデータは2021年7月15日現在の情報です。被災地の状況によって、センターの開設状況は変わります。まずは問い合せせずに、リンクの公式情報をご確認ください。
*図は7月19日に誤字などを修正しました。
*各ボランティアセンターのリンクを最後にまとめてあります

 

各地で梅雨明けが進んでいますが、各地ではときどきまとまった雨が降っているようで、気が抜けない夏です。
そして、7月の頭からここ二週間ほどの豪雨によって、各地で災害が発生しています。

各地で何度も降ったことで、例えば「西日本豪雨」のように名前がつくような規模の災害とはなりませんでした。
しかし、ポツポツと被害が発生するような形のため、どこにどれくらいの被害が発生しているのか分かりにくくなっている気がしています。
大きな被害があった地域や、その他のニュースにおされて、被害があっていることが見えにくくなっている。

被害件数がどうであれ、生活再建のために必要なことは変わりません。
家財搬出や家屋再建に向けた清掃など、支援の手は必要です。

東日本の時にも、支援のムラがありました。津波が押し寄せる映像の市町村に人が集まりましたが、被害が甚大過ぎてボランティアでできることは少なかった、そんなこともありました。

今回も土砂災害に押されて、浸水被害が見えにくくなってはいないでしょうか。
コロナ禍でのボランティア募集は、できるだけ近くでが原則となりつつあります。
そのため現在開設されている災害ボランティアセンターは、市町村内など近隣からの募集です。

近隣からの募集と限られている分、たくさんの人にその情報を伝えていかなければいけないのかもしれません。
ある情報ばかりを追いかけると、全体像が見えにくくなるときがあります。

災害支援という括りで全国を視野に入れて活動しているからこそ、こんな時に全体が見えるような情報の出し方をするべきかな?と思いました。

いろいろな支援を考える参考になれば幸いです。

■静岡県
沼津市地域ささえあいセンター

■鳥取県
倉吉市ボランティアセンター
境港市ボランティアセンター
三朝町ボランティアセンター

■島根県
出雲市災害ボランティアセンター
雲南市災害ボランティアセンター

■広島県
三原市ボランティアセンター
竹原市災害ボランティアセンター
東広島市ボランティアセンター

■熊本県
人吉市復興ボランティアセンター
球磨村復興ボランティアセンター
八代市復興ボランティアセンター

■静岡県
熱海市災害ボランティアセンター(新規ボランティア受付停止中)
富士市災害ボランティアセンター(7月22日から、ボランティアセンターに移行)

■鹿児島市
伊佐市災害ボランティアセンター(7月17日から、ボランティアセンターに移行)

077月/21

人吉・長野レポート【6月】

人吉市

4月から活動を中止していた人吉復興VCですが、6月に入り蔓延防止措置が解除されたことにより一般ボランティアの受付も再開しました。
停滞していたニーズが一気に動き始めました。

コミュニティ支援

継続的にサポートに入っている大柿地区、一面に畑たんぼ景色が広がっています。
その全てが泥水に浸かり、また遊水地案も重なり再開した田畑はほんの一部です。
そんな中、被災されたお宅の畑の一端をお借りして住民さんと夏野菜を中心に植えました。

全てを元通りにはできないけど、やれることから少しずつ、これまでの支援の種から芽を、夏野菜と一緒に覗かせています。

協力団体:一般社団法人ピースボード災害支援センターおれんじぴーすDRT-JAPAN長崎-

伝える活動

社協スタッフと一般ボランティアの方々へ座学とOJTを合わせた研修を行いました。
座学では支援の目的や復旧ロードマップを使った発災から再建までのプロセス等、実践では脚立を使った高所作業や道具の使い方など半日という時間で「伝える活動」を行いました。

今後も中長期的な支援が必要な人吉球磨、地元の方々が気付き、行動し息の長い支援へと繋がって欲しいです。

ベース片づけ

拠点として使わせて頂いていたお宅が公費解体の時期へ。
被災されたお宅を一時復旧し、約7か月のあいだ人吉ベースとして活用させていただきました。
感謝の意を込めて片づけと退去準備を、拠点は無くなりますが支援活動はまだ続く予定です。

 

長野

寒冷地の長野も、次第に暑くなってきました。
朝夕は涼しいですが、日中はジリジリ焼けるような日差しです。

かりぐらし

コロナ禍対策のため、住宅付き就労支援事業として、長野県社会福祉協議会の事業に引き続き協力しています。通称かりぐらしプロジェクト。コロナ禍で住まいやお仕事を失った方を、長野市のシェアハウスで受け入れています。

そのかりぐらしのメンバーは、6月も数名増えました。別の場所へ旅立っていった人たちもいたので現在は少ないですが、一時は最大利用者7名でした。
いろいろな事情で前職を辞められて求職中の方、車中泊を続けていた方など、利用者さんのお話を聞くと、コロナ禍の影響で厳しい生活を送られている方は多いと感じます。

現在はそれぞれ農業のバイトに出かけたり、社会福祉協議会からのサポートで面接にいかれたりと活発に動かれています。いろいろな人と繋がっていただけたらなとサポートをしています。

ワークライフ組合サポート

あの台風被害から1年半ほど経った長野市の課題は、公費解体後の更地増加や、耕作放棄地の雑草です。

住み続けている人と地域を離れた人が混在する地域で、今まで地続きだった地区が、歯抜けになっている。どうやって地域を維持していくのか、という課題が大きくなっています。

そんななかで、長沼ワークライフ組合という組織が4月に設立され、6月から本格的な活動を始めています。目に見えやすい耕作放棄地や雑草という課題を、地域で・自分たちで解決しようという動きです。
6月の本格始動から、運営サポートをしています。

長沼地区は地区によっての被害状況が違います。そのため課題もそれぞれ違いがあります。違う課題を持つ地区が一つになり組織化するのはとても難しいですが、とても重要だとも思っています。

外部者である私たちがどうサポートさせていただけるか、手探りで進めています。

長野県社会福祉協議会さんとの連携

上記のワークライフ組合のサポートも含めて、長沼・豊野地区へのサポートを続けています。
この動きは、長野県社会福祉協議会との連携という形でしています。

発災から、2年目の節目が見えてきています。
しかし、決壊した堤防の再建についてや、今後のまちのつくりについて、復旧の仕方をまだ模索しているところです。
その過程で、行政と住民との意見に溝が生じる点もあります。そうした面では、外部の柔軟な動きが必要な場面がまだあります。

今後、長沼、豊野地区で何が出来るか、何が必要なのか住民の方のお話を聞きに行ったり、サロンやイベントに顔を出す機会を増やし、検討と整理をしています。

ふらっと農園

保育園生と一緒に大豆植えをしました。
昨年に引き続き、小川醸造所さんの完全バックアップをいただきました。
減農薬で保育園の子どもにも安心して食べてもらえる大豆をと思っているので、7月は草との戦いです。
また、玉ねぎも大きく育ち雨が続く前にみんなで収穫をしました。
紫玉ねぎを植えているお家が少ないのでいつもお世話になっている地域の方にお裾分けしています。

 

新メンバー 花ちゃん

インドから帰国し、帰国難民となったはなちゃんが長野メンバーに加わってくれました。
コロナ禍でのインドからの帰国は、周りの目が厳しく実家である和歌山に戻ることが出来ず、行き場に困っているということだったので、長野に来てもらいました。

花ちゃんから一言
とむさんとは2011年の和歌山県那智谷の災害の時にお世話になってからのお付き合いで、今回もとても嬉しいお声かけを頂き長野の来させていただきました。

長野の皆さんや日本の皆さんのために、私が出来ることを結を通じてさせていただけたらなと思っています。(花)
067月/21

被災した方へ

今回の豪雨によって、被害にあわれた方へ、心からお見舞い申し上げます。
残念ながら犠牲になられた方とそのご家族へ、謹んで哀悼の意を表します。
また、一刻も早く安否不明の方が見つかるようにと、祈るばかりです。

突然の被災と、避難生活で、大変ご苦労をされている方が多いと思います。
一日も早く、本来の生活が取り戻せるように、まずは遠方からできる支援として
被災したときのお役立ちリンクをまとめました。

下記リンクは、これからの生活をどうやって再建していくかのサポート資料です。

資料であって、指示書ではありません。
自分に必要な情報を取捨選択することが大事です。

生活再建に重要な準備

・深呼吸をしてから考え事をする
・信頼できる情報を得る
・選択肢を増やす

深呼吸をしてから、考え事をする
復旧作業をすすめる必要がありますが、必要以上の焦りはよくありません。
無理をして片付けをしても、熱中症で倒れてしまっては元も子もありません。
無理くり家の中のものを捨ててしまって、後で後悔するケースもよくあります。

信頼できる情報を得る
国からの支援や、受けられる救済措置など、今後の生活再建に情報は欠かせません。
目まぐるしく状況が変わる被災地では、情報の正確性と鮮度が重要です。
一番信頼できるのは、市町村や都道府県のホームページです。
大手メディアや、身元がしっかりしている組織からの情報も、間違いは少ないはずです。

選択肢を増やす
支援者として私たちが望むのは、できるだけ一人ひとりが望むような形の再建が進められることです。
できるだけたくさんの選択肢を残せるようにしたい。
だから、できるだけ早い段階で家屋を片付けて乾燥させて、家の傷みを止めることが重要だと考えています。

ただ、生活再建の手法は、思っているよりもたくさんあります。
リフォームの見積もりを2社以上とるとか、捨てるか迷っているものは一旦置いておくとか、ちょっとしたことで選択肢は増えていきます。

被災の程度は違っても、被災は被災。いろいろな困りごとはでてきます。
生活再建は、一人ですべてできるものではありません。
適切に、他の人の力をかりることが大事です。
私の被災はたいしたことないから。。。という遠慮は無用です。

同じタイミングで被災しても、同じ被害はありません。
生活再建もそれぞれ違います。他人と同じでなくても良い。
焦らず、自分に一番良い方法を探せるように、人の力を借りてもらいたいと思います。

行政情報
熱海市HP
沼津市HP
富士市HP
再建の手順指南
復旧ロードマップ/被災後必要なこと1〜4(災害支援ネットワーク岡山)
水害にあったときに(震災がつなぐ全国ネットワーク)
水害にあったときに【動画】(NHK)
生活とすまいの再建 1/2/3/4/5(FUKKO DESING)
相談先
熱海市災害ボランティアセンター
沼津市ボランティアセンター
富士市ボランティアセンター
静岡県弁護士会の無料相談
057月/21

今何かしたい人へ【静岡豪雨を受けて】

まずは、7月3日からの豪雨によって被害にあわれた方にお見舞い申し上げます。
そして、未だ安否が確認されてない方の所在が一刻も早く判明するようにと願っています。

 

5日の朝に、安否不明の方が大幅に増えたという報道がありました。
今になって安否不明者の人数が大きく変わるということは、それだけ現地が混乱しているということでもあります。

ニュースやSNSなどで繰り返し目に入る映像などを見て、何かしたいと思われている方も多いかもしれません。
しかし前述のように、まだ現地は混乱しています。
現地からの映像を見る限り、水分が多い土砂のため、現地を歩くことすら困難な様子。
むやみな訪問は、物理的に迷惑をかけてしまうのではないかと考えています。
不明者の捜索も続くでしょうし、ボランティア募集にはもう少し時間がかかるかもしれません。

 

混乱している状況だからこそ、できることがあります。
それは、現地に負担をかけないということ。

現地に行かないこと
交通渋滞の原因になったり、防犯面の不安を煽ることになります。
そもそも、まだ二次被害の可能性もあったり、活動すること自体の危険性が高い。
2014年の広島土砂災害では、救助活動中の消防士が土砂崩れに巻き込まれて亡くなっています。

 

問い合わせしないこと
特に電話での問い合わせは、現地の貴重な人材リソースを割くことになります。報道や信頼できるインターネットサイトなどで情報を集めること。
過去の災害ボランティアセンターでは、ボランティアに関する問い合わせが多く、その対応に追われてしまうということがよくあります。

 

物資は送らない
どれだけ整理されパッキングされた支援物資であっても、受け取りや現地での整理に人手は必要です。しかし、今はまだそんな余裕はないはず。今避難所に送っても、ダンボールの山に追加されるだけの可能性が高いのです。
そして、災害救助法が適応されている熱海市では、国費で避難生活に必要な物資の手配ができます。個人が熱海市に物資を送る必要は低いはずです。
どうしても何かを送りたい場合は、それを換金して支援金や義援金で送金しましょう。送料も数百円ですみます。
詳しくは:災害NGO結note【そろそろ緊急時の物資支援は卒業しませんか】

今寄付するなら
熱海市ふるさと納税
熱海土砂災害支援基金
沼津市

 

今後の動き
懸命な捜索と同時に、安全の確保が進んでいるはずです。
過去の被災地では下記のように、段階的に専門家の現地入りが進み、災害ボランティアセンターの開設準備が整っていくのです。

救命・医療チームの派遣
災害支援や復旧活動に特化したチームの現地入り(ボラセン運営支援、ボランティア活動の下準備、避難所支援)
災害ボランティアセンター開設、一般募集開始(個別ニーズへの対応)

236月/21

慰霊の日−沖縄

知ることから始める支援

本日6月23日は慰霊の日(76年前に起きた太平洋戦争で大きな被害を受けた沖縄の終戦記念日の日)です。 


今年4月、災害NGO結として沖縄で平和学習ツアーを実施しました。代表トムの出身地だからでもありますが、縁がなくても日本の人に、改めて沖縄戦について知ってもらいたいと思っています。平和を考えるきっかけとして、慰霊の日に合わせて結のHP上でもお知らせすることにしました。 

 

日本で唯一の地上戦が繰り広げられたのが、沖縄戦です。 

県民の4人に1人が犠牲になりました。あれから月日が流れても、住民の安全を脅かす普天間基地や辺野古の埋め立てなど、いまだに基地問題を抱えています。
こうした点を考えると、太平洋戦争はまだ終わっていないのかもしれません。
 

今のところ日本では、戦後が76年間続いています。 

しかし、遠い外国の戦闘や内戦にも、日本国や日本の企業として、関わりがあることもあります。これは、私たちの生活の一部が、大きく影響を及ぼしているとも考えられます。 

私たちの足元から地続きで被災地があるように、地続きで紛争地があるとも考えられないでしょうか? 

 

過去を学ぶこと、各地の現状を知ることは、これからの自分たちの未来を考えるためにも必要なステップだと感じています。 

まずは身近な国内の過去に目を向けること。 

ミャンマー、香港、台湾など、ご近所のアジアで起こっていることを知ること。 

中東やアフリカの戦争に想いをはせること。 

私たち一人ひとりが意識をして、平和を作り上げることの大切さを考え、微力だけど無力ではないと、アクションを起こすきっかけになればと思っています。 

 

今からできるアクションとして 

知ること、参加することをまとめてみました。 

参加する 

チャリティーライブ−ひめゆり資料館への寄付プロジェクト 

クラウドファンディング−白梅之塔周辺修繕プロジェクト 

 

知る

*琉球新報ー沖縄戦特集ページ 

*琉球新報−子ども向けページ 

*琉球新報−3分で分る沖縄戦 

*沖縄タイムス−コラム集 

*沖縄タイムス−沖縄戦デジタルアーカイブ 

*NHK−戦争証言アーカイブス 

無関心を感心に
一人ひとりが小さな一歩を重ねていくことを願います。

036月/21

人吉・長野レポート【5月】

人吉市

今年の西日本は例年より2週間も早い梅雨入りとなりました。
九州では5月でありながら警報が鳴り響くような大雨が何度も発生。
また5月31日には台風31号がフィリピン沖で発生するなど、今年の出水期が気になる次第です。

各団体との作業連携

雨が降ったことにより、今まででは無かったニーズがちらほらと出てきました。
そのうちの一つに、自宅近くの側溝の水が溢れだし、敷地内や再建中の家屋内に水が入ってきた、というお宅が。
仲間が駆けつけ原因をつきとめ、応急処置をして最後は連携団体のみんなと手作業で泥出しを行いました。
被害の発生から解決まで、スムーズに対応できているのは発見してくれる目がたくさんあり、そして協力してくれる団体がいるからです。
定期的に開催している連携会議ですが、その成果が見られた瞬間でした。

連携団体
め組JAPAN熊本支援チームくまもと友救の会
人吉市社会福祉協議会おれんじぴーすDRT-JAPAN長崎-
レスキューアシスト熊本Borderless Fire Kumamoto

再建ニーズ

人吉を見て回ると解体工事が進んでいる家屋が増えてきたように思えます。
そんな中で、壊す予定だった自宅を悩んだ末に再建したい、と相談に来る住民さんがいらっしゃいました。
理由は、ご近所さんからの戻って来て欲しいとの声、大切なお庭をやっぱり守りたい、と色々です。
そんな住民さんに寄り添い、相談に乗りながら作業を進める毎日でした。
全て私たちがやるのではなく、大事なお家を一緒に再建する、個人や地域のエンパワーメントを大切にしています。

 

コミュニティ支援

今まで復旧作業に入った各市町村の集会所。
集会所に限らず、被災してできなくなってしまったことはたくさんあるけど、できる範囲で少しずつ再開していくことが大切です。
支援の「種」から「芽」をはやす、そのための準備をちょっとずつスタートさせています。

 

長野市

長野県での活動も、続いています。
4月の遅霜の影響で、やはり今年の実りが少なくなっているようです。

本当は、花や実も段階で、育てる実を決めて、何度も摘花や摘果するのですが、落とす花や実がないところも多いようです。
「仕事がなくなってしまって、何しようかなぁ」なんて声も聞こえます。
令和になってから、いいことがないよ、とこぼす方もいます。
自然と向き合いながらの第一次産業には、大きくしわ寄せがきていると感じます。

長野の5月はこんなことがありました
・保養キャンプに参加
・さつまいも植え
・豊野ベース片付け
・かりぐらし

 

保養キャンプ

2011年から連携をしている団体で、SeedsOfHopeという団体があります。災害時の緊急支援もやりますが、2011年から継続して、福島の子どもたちの保養キャンプを開催しています。ちょうど、長野市のお隣の信濃町にあるお家をお借りして、キャンプを実施していたので、長野の野菜を持っておじゃましてきました。

 

さつまいも植え

去年のさつまいも収穫に続いて、近くの保育園の子どもたちと一緒に、さつまいもの苗を植えました。

ちなみにさつまいもの苗は、熊本地震で被災した農家さんから買わせていただきました。
受け取りに行った時にお話を伺うと「ちょうど1週間ぐらい前に家を再建できたよ」とおっしゃっていました。
それぞれ、どの地域も被災から時間が経つと注目が薄くなりますが、まだまだ、再建の道半ばです。

そんなさつまいもを、ふらっと農園のはたけに植えました。去年と同じ場所です。
初めて植える子も、何回目かの子も、元気に楽しそうに植えてくれました。

植えるための穴を掘るのが楽しかったり、近くの虫と遊んだり、何もなくても遊べちゃう子どもたちは、見ていて飽きません。
当日近くにいた奥様方も、子どもたちの声があってにぎやかで良いね、と見守ってくれていました。

ふらっと農園、保育園からは子どもたちの足ではちょっとあるけど、もともとお散歩コースにあります。
これからもお散歩のついでに、お芋の成長を見守ってもらう予定です。
こうして、地域の方と保育園の子どもたちと、みんなが関わる場所になればいいなと思っています。

 

豊野ベース片付け

2019年12月ごろから借りていたお家を、返すことになりました。

もともと全壊判定を受けた被災したお家で、借りる時には空き家で、今後の方針が決まっていませんでした。お家の方が公費解体を決断されたので、それに合わせて退去となりました。

 

お借りする時に貼った壁や床・断熱材は、使えそうな物を撤去。東京の子どもの遊び場や、和歌山など、支援仲間にお譲りして活用してもらいます。

結の長野事務所は、6月から徳間のヒルトップ(かりぐらしプロジェクト)に移します。

 

かりぐらし

コロナ対策事業として、住宅付きの就労支援事業を長野県社会福祉協議会さんと一緒に進めています。

4月までは3人だった入居者ですが、5月に入って3人追加となりました。

海外から帰国した、長野であたらしいことに挑戦したい、など理由は違いますが、いろいろな所に、コロナの影響が出てきた結果の利用だと感じています。

コロナの影響が出だしてから丸一年以上。今までは耐えられたけれど、そろそろ限界、という面もあるのかもしれません。

事業としての予定は、一年のため11月までですが、状況を見ながら、今後どうしていくかを検討するつもりです。

095月/21

沖縄研修について

Facebookの毎日投稿で少し触れていた、沖縄研修について

 

研修の目的

沖縄には災害はなくとも、様々な社会課題が存在しています。
その大きな原因の一つが76年前の沖縄で繰り広げられた地上戦です。
以前沖縄へ訪れた際、ウチナンチュ(沖縄人)に限らず、現代の日本人として沖縄の課題を知るべきだと感じました。
しかし、沖縄の抱える問題を私の身の回りの人に話しても、あまりピンときてもらえなかった。そもそも沖縄戦のことをよく知らない人が多いと分かりました。
今もなお、南部の土砂投入などいろいろな形で課題が進行しているからこそ、現地で過去に何が起きたかを振り返る、そして今後のことを一緒に考えて欲しい。
そういった思いから沖縄研修を実施しました。

研修の前提として、コロナウイルスを持ち込まない・広げないことを最優先にしました。
参加者には、沖縄到着時と参加後に抗原検査を実施しています。
また今回は災害NGO結の位置づけや色々な点を考慮して結の経費は使っていません。

研修の工程
<1日目>
平和記念公園資料館の展示→展望台→平和の礎→各県の慰霊碑→沖縄師範健児の塔→ひめゆり資料館→魂魄の塔→熊野鉱山→ガマ
<2日目>
普天間飛行場が見える嘉数展望台→辺野古漁港→多幸の山学校で高江ヘリパッド問題のお話会

1日目は、ガイドのMさん(普段は修学旅行生などのガイドさん)に同行してもらい、沖縄の過去、現実を一つ一つの場所でお話しいただき落とし込んでいきました。

平和祈念公園

資料館の入り口には不発弾が展示されています。現在も不発弾が各地で発見され、沖縄では建設前に地中の金属探知が必須だそうです。
しかし近年でも、探知が十分でないため工事中に爆発、負傷者が出たという事故があるそうです。

資料館の展望台では辺り一片が見渡せました。
ぐるりと陸地側に目を向けると、土地開発のため削られ、むき出しになている茶色い土の砂山がポツポツと確認できます。
沖縄は世界で最も海岸線を開発されている地域の一つ。
糸満市西崎や那覇空港も、埋立地です。
経済発展のために開発を進めなければならない、ただそこでは自然の海岸線が失われる等、いろいろな課題が見えるなと感じました。

平和の礎

たくさんの礎に、沖縄戦で犠牲になった人の名前が刻まれています。沖縄の人、日本軍として全国各地から来た人、また連合軍である米軍や諸外国の兵士の名前も刻まれています。
当時敵対国であった犠牲者の名前も一緒に記されているのは珍しいそう。
碑には基本的に名前がフルネームで彫られているのですが、中には○○○の次女、などという表記も。家族全員が犠牲になってしまうと、その子の名前も分かりません。4人に1人が犠牲になった沖縄戦、という規模を実感しました。

摩文仁の丘

摩文仁の丘を登った一番奥には、陸軍の司令官だった牛島満の石碑があります。彼の石碑が丘の一番奥、一番高い場所にあるのも、なんだか考えさせられました。

健児の塔

健児の塔は、沖縄師範学校から動員され、犠牲になった男子生徒が祀られています。当時の沖縄師範学校の学生といえば、エリートだったそうです。若き沖縄のエリートたちが多く犠牲になったしまったことは、沖縄の戦後復興に大きな影響を与えたはずです。

ひめゆり資料館

ひめゆり資料館はその日から展示内容をリニューアルしていました。
2年前に来たときよりも、明るい雰囲気。写真や沖縄戦についての説明が、柔らかいイラストと、ひめゆり学徒隊の生活を詳しくまとめたものに変わっていた気がします。
平和祈念公園の資料館が、沖縄戦の総合的な説明だとしたら、ひめゆり資料館は、少女たちがどうやって戦火に巻き込まれ、どんな体験をしたのかを一つひとつ追いかけるような構成だと感じました。
全体のコンセプトも、一つひとつの証言が残すメッセージも、風化させないという意志を感じるものでした。
沖縄戦を学ぶ上で、避けてはいけない施設かもしれません。

ガマ

入り口から別世界のような空間で、ひんやりと涼しい。
狭い入り口の先には、空間は広がっていて立派な鍾乳洞になっていました。
頭と足元に気をつけながら、どんどん先に。
一番奥にある空間では当時たくさんの住民と日本軍が暮らしていたそうです。6月25日の米軍からの投降命令を受け出てきた人数は、約600人。
しかしそこは狭くゴツゴツした空間です。証言をもとに書かれた当時の絵を見ると、まるで満員電車のようだったといいます。
途中からは日本軍にガマの出入りを禁じられ、ぎゅうぎゅうになりながらさらに息をひそめて暮らしていたのでしょうか。

完全に外からの光が入らないので、中は真っ暗。
持っていたヘッドライトを全部消すと、目を開けているのか閉じているのかが分からなくなる暗闇でした。

暗闇の中、ガイドのMさんが実際にこのガマで起きた話をしてくれました。
その一つがこのガマで生き延びた女性から聞いたお話。

その女性は、ぎゅうぎゅうのガマの中でおばあと小さい男の子の会話を聞いていました。
どうやらお腹が空いている坊やをおばあがなだめているよう。
我慢の限界が来た坊やは泣いてしまいます、すると日本兵が来て「黙らせろ」。
おばあは大事に取っておいた黒糖を坊やにあげますが、坊やはまたすぐにぐずりだしてしまいます。
再びやってきた日本兵、「黒糖またあげるから」とおばあが坊やに言った瞬間、黒糖は兵士にとりあげられました。
「それは僕の黒糖だ!返せ!返せ!」と怒って泣き叫ぶ坊やの声と同時に、「ズドン」と大きな音が鳴り響きます。
それきり、坊やの声は聞こえなくなったそうです。

その他にも、たくさんの悲しい証言があるそうです。
人間が人間として尊重しあえないような状況が、このガマで、沖縄で、もちろん日本の各地で起きていた、その事実をひしひしと感じました。

こうして、息をするのを忘れるぐらいの、ヘビーな1日目を終えました。

2日目は、ガイドMさんの同行はなしで、結グループだけで見学しました。

嘉数展望台

展望台を登ると、普天間基地の飛行場が見えます。
ちょうど一台のオスプレイが飛び立ち、街の上を一定時間旋回しどこかに消えていきました。
近くであんなに大きな航空機が飛んでいるのは、やはり沖縄だからか。

近くの小学校の校庭には、コンクリートで作られたシェルターがあるそうです。
2017年の米軍ヘリの窓が落ちてきた事に対する対策です。『(米軍機の)音を聞いて、止まって、目視、怖いと思ったら逃げましょう』と小学校で教えられているようです。

辺野古漁港

穏やかな町中にある漁港、たくさんの船が岸に並んでいました。
人影もなく、あおい海で素敵なロケーションですが、砂浜の左側はフェンスで区切られています。
2年前来たときは、遠くにはほとんど何も見えなかったのですが、今回はテトラポットが何段にも積み上げられているのが目視で見えました。
ちょうどコロナの感染者が増えてきていたタイミングでもあったので、ゲート前の座り込みは中止。
それでも埋め立て工事は進み、業者は土砂を搬入しています。
被災地でもですが、不要不急ってなんだろうか、と思ってしまいます。

多幸の山学校

高江村のヘリパッド建設問題の当事者からお話を聞く機会をいただきました。
村への米軍基地の敷地内にヘリパッド建設が決定し、対して近隣住民が反対。
反対していた住民の方たちが工事の妨害をしたと国から訴えられる、という事態にも発展しました。
お話をしてくれた彼だけでなく、抗議の現場にはいなかった小学生の娘さんまで告訴の対象となってしまったそうです。
県民同士の温度差、地元住民の中の考えの違い、さまざまなバッシングや非難。
活動すること事態に疲れてしまって、最近は少しそうした動きから離れていたんだ、とポツリポツリと心境をお話くださる姿が、とても小さく見えました。
未だ現在進行系で進む課題と、それに向き合い続けて消耗してしまった姿なのかと感じました。

現在にまで続いている課題を知って、その当事者の声を聞いて、ウチナンチュの意見を聞いて。
最後はお話ししてくれた彼が即興の歌を、みんなでそこら辺にあるもので音を奏で、楽しいセッションで研修が終了しました。

スライドショーには JavaScript が必要です。

この2日間の参加者の感想

・知ってはいたが詳しくは知らないことだった。避けていたのかも。
・沖縄ものことも、住んでいる長崎の原爆の話も、継いでいく事の意義を感じた。
・ひめゆりでの生々しい証言の大切さと、証言者の勇気によって伝えられていることを感じた。
・無謀な戦争をやっていたという衝撃がいまだにある。
・研修後、沖縄に関する報道を聞いても以前とは感じることが違った。
・ガマでは、自分の中で―セーブしなければ苦しくなるほどだった。
・中学生の時以来の沖縄平和学習で、大人になって感じるものは多かった。
・きつかった。こんなに悲惨なことが起きたにも関わらず、今も世界で戦争が起きていることに悲しい気持ち。
・アメリカの基地問題において、沖縄人対沖縄人の構図になっているのがつらい。
・なぜきれいな海を埋め立てる?なぜ激戦地の土を使う?倫理的にあり得ないような内容。どこか他人事のように決められたのではとも思う。
・日常的に戦闘機が飛び交うことや、騒音を初めて肌で感じた。
・辺野古の静けさと着々と進む異様さ。
・日常になっているかもしれない沖縄の若い人たちはどう考えているのだろう。日常になり、関心や実感がなくなると、また繰り返されてしまうのではないかと。
・「怒りは疲れる」が印象的な言葉。楽しさとともに伝えていくことの大切さと難しさを感じた。
・歌いながら楽しむかたちで沖縄の人たちと関わる時間もすごくよかった。
・何をどうしていいのだろう。山ほど知って、感じてだけれども、どうしたらいいのだろう

今回は初めての試みでもあったので、広く募集もせずに試験的な少数人数での開催としました。
感想にもありますが、今まで知る機会がなかったような課題にも触れるチャンスになったと感じています。
日本の一部である沖縄、今後もたくさんの人に 知ってもらい、考えてもらいたいです。
被災地の課題もそうですが、やはり現地で直接見て感じて触れて、何が課題かを自分で考えることが一番。
コロナウイルスにまつわる状況など、もっといろいろなことが落ち着いたら、スタディーツアーのような形で、みなさんと考えたいなとも思っています。

また沖縄研修レポートについて今回はまとめたものを掲載しておりますが、
詳しい全文は下記より、興味ある方は是非ご覧ください。
沖縄研修レポート全文