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285月/19

活動報告−九州スタディーツアー本編

 

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5月14日〜16日でスタディーツアーが実施されました。結も、アドバイザーとして二日間同行しました。主催はひちくボランティアセンター(NPO法人リエラ)で、一年前は参加者として熊本に勉強に出向いた側が、企画して受け入れる形になりました。→これまでの経緯について

1日目−朝倉市

2泊3日の内、2日間はインプットの日。ということで、朝倉市に着いた一行は早速、杷木ベースへ。ベースの周辺を歩いて実際にどんな被害があったのかを確認しました。その後、朝倉市・社協・JA・生協などにも集まっていただき、それぞれの活動内容や今までの経緯を聞きました。

被災地の中心にベースを構えて地域の人に気軽に立ち寄ってもらえる場所になった杷木ベース、支え合いセンターのみなし仮設訪問について、JAが月に一度開設している農業ボランティアセンターの取り組み、みなし仮設や在宅住民の交流促進を目的としたふれあい農園、他にも社協(支えあいセンター)や農協と市民活動が連携し課題解決を進めている事例などがありました。
夜には、地元の方と宇和島の支援者とが交流する場があり、今後の活動につながる懇親会になりました。

2日目−東峰村、日田市

朝から朝倉市の中でも被害が大きかった松末地区を通って、お隣の東峰村へ。仮設団地の自治会長さんからお話を聞きました。被災直後の話から、若い担い手がいない村の現状、そして仮設自治会長として、地元で支援を受ける調整をする側としての思いなど色々な話がありました。

特に、仮設住宅を出てからのことを考えて、受ける支援を調整するという「支援の引き算」という考え方は、今後の宇和島でも重要な支援になると感じました。人はその状況に適応していく生き物です。仮設住宅のサロンの「おばちゃん、ご飯のおかわりぐらい自分で行けるやろ」というエピソードのように、被災者を骨抜きにしてしまうような支援であってはいけません。それは、支援を受ける側と支援をする側の双方が気をつけるべき点でもあります。

 

その後は井上酒造さんへ。文化財にも登録されている貫禄のある建物にてお話を聞きました。豪雨の中ご近所さんが酒蔵へ避難されてきた話、蔵が被災した話、原料のお米も被害を受けたけど更に新しい挑戦をしている話など、ちょっと涙腺が緩んでしまうような、地元と酒蔵への愛が溢れるお話でした。

お昼ご飯は、古民家カフェをやっているすずれ元気村のくまちゃん家へ。実は2012年の九州北部豪雨でも被害を受けており、そのときに結成したすずれ元気村のメンバーが立ち上げた集まる場が古民家カフェでした。しかし、オープン前日に二度目の九州北部豪雨が発生。カフェは窓ガラス一枚が割れただけでしたが、すずれ(鈴連)地域が土砂崩れで大きく被災。お話をしてくれた代表の方ご自身も被災し、みなし仮設で生活をされていました。

同じ地域の同じ「被災者」でも、被害が違えば受けられる支援制度も変わってくること、それも原因で何でも言い合える仲の人が少なくなってしまったこと、周囲に知り合いの居ないみなし仮設で気分が滅入ってしまい孤独感を感じていた話など、当事者目線の感覚を共有してもらうことができました。

 またNPO法人リエラの代表からは、その前身であるひちくボランティアセンターの活動などを紹介してもらいました。緊急期だからできた活動、その後落ち着いて来たときに必要になったこと、失敗したことなども教えてもらいました。支援のために必要な情報の集め方など、支援活動のちょっとしたコツから、組織運営の話まで、今の宇和島に必要な情報が盛りだくさんでした。

 以上の大きく4箇所を巡るツアーでした。

そしてツアーの締めくくりとして、2日目の最後に振り返りの時間がありました。この振り返りにはファシリテーション協会の方にもご協力いただきました。実は、朝倉市では、情報共有会議の議事進行サポートを緊急期の段階からしてもらっていました。宇和島市では、今まで外部の人に会議や議題の整理をしてもらうという経験がなかったので、良い機会だったと思います。

そんな助っ人の力も借りて、ツアー中に感じたことや今後宇和島の活動に活かせることなどを話し合うワークショップを行いました。それぞれ、訪問した先で気づいたことや、具体的に真似できそうなことなど意見があがっていました。

 二日間の日程で朝倉市~東峰村~日田市と訪れた今回のツアー。サポーターとして同行し、改めて被災地同士が交流するメリットを感じました。他の被災地と比較することで新しい気付きが生まれ、受け入れる側も準備の過程で学ぶ場になっていました。また、こうして団体を越えて共に考える時間を持つことが、関係を深くし、今後何かあった際に連携し合える仲間作りにも作用すると思っています。

 緊急期から中長期へと移行していくこの時期。外部支援者たちが少しずつ撤退していく中、地元支援者たちの自立が被災地にとって必要不可欠になっていきます。自立のために、広く長く客観的な視点の重要性を伝え、前に進んでいくきっかけを作るのも、離れていく外部支援者の一つの役割だと思っています。これからも、程よい距離感を大切に、被災地と向き合っていきたいと思います。

平成29年7月九州北部豪雨の直後の被害の様子

225月/19

活動報告-東北訪問

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東北の震災から8年が経ちました。災害NGO結の活動が、あの時の仙台から始まりましたが、ここ数年は活動を理由に足を運べていませんでした。また現地に行けていないことが、余計に訪問へのハードルになっていました。
そんな後ろめたさを抱えながらも、数日間だけ東北にお邪魔してきました。訪問した感想は、やはり定期的な訪問が必要だということ。今回は宮城・岩手の数カ所をまわりましたが、それぞれの被害や地域性によって風景が変わっている点が興味深かったです。

最初に活動で関わった仙台宮城野区。沿岸部の整備が進み、道路が嵩上げされていました。市街地では開発が進んで新しいマンションが立ち人口が増えたりと、色々な形で街が変わっていっています。当時から交流があった被災後仮設に入らず、踏ん張っていた方が立ち上げたお茶飲み手芸サロン「つぎはぎすっぺ茶」にお邪魔しました。未だに近所の方が集まっていて、手と口の両方をせっせと動かしていました。隣の七ヶ浜でも、地域の人が集まる場が継続的に運営されていました。

岩手県陸前高田市でも、高台に作られたオシャレな建物で運営されている集まる場にお邪魔しました。料理教室やシネマ会、古本交換会やハンドメイド講座まで、幅広い集まる機会が設けられている素敵な場でした。
しかし国の復興予算で高台に作り変えたものの、大規模な高台工事に時間を要し、街が作られ始めたのもここ数年になってから。計画段階では街に戻ってこようとしていたけれど、待ちきれずに離れてしまった人も多いそうで、買い取り手のない土地や復興住宅の空きが問題になっています。どこにも共通しますが、計画当時には予想しきれなかった人の流れが、新たな課題や問題を生み出しています。

 

震災と津波の影響は北部ほど大きく、石巻市より北部(女川・気仙沼・南三陸と岩手県)では、街が一から造られたような印象を受けました。復興住宅と真新しい外観の商店がポツポツ並ぶ町並みが、共通しているような気がしましたが、市町村によって進捗具合はまちまちでした。震災遺構についても対応が分かれていて、街のシンボルのような構造物をいくつも保存しているところもあれば、ほとんど撤去されてしまったところもありました。市町村での対応が分かれた点には、その行政区内での被災の度合いも影響しているかもしれません(沿岸部は被災しましたが、中心地区は大きな被害を免れたところもありました)。

また、地域によってはデザイン性の高い建物や商業施設が並んでいましたが、人影はまばら。国内の修学旅行やインバウンドの影響はあるようですが、土日なのにこんなに店が忙しくないと話す人が居るように、時間の経過とともに観光客の数も減少しているような気配でした。

その一方で、災害直後に多数の外部支援団体が入った石巻市などでは、未だに複数の支援団体によるコミュニティ支援などが継続して行われています。カーシェアリングで復興住宅での移動手段の確保やシェアコミュニティの形成支援、移動支援として自力移動が難しい方の支援、戸別訪問による見守り支援など、基本的にはコミュニティの維持形成や見守り支援が主です。

当初は外部から来た支援者が移住したり、スタッフが地元出身者に入れ替わったりと、地元化が進んでいました。またそういった団体のボランティアとして外部から定期的に関わる人もおり、一定の人口の関わりが見られました。これは、最近よく言われる関係人口の創出として、今後人口減少が特に進む地方でも参考にできることが沢山あると感じました。

 

3日ほどの短い行程でしたが、久しぶりの東北訪問で色々なことを見ることができました。特に街の物理的な変化は、あの発災直後からは想像が追いつかず、どこがどう変わったのか、当時を思い出すのが難しいほどでした。この変化を見て、改めてボランティアという力は復旧作業を前に進めるのではなく、作業を通して被災した方に寄り添うことに発揮されるものだと感じました。

また、復興住宅から出て次の住処に移る、つまり復興住宅がゴールではないことや、被災者が支援を受けることになれて麻痺してしまい、自分のことができなくなる支援慣れなど、どこの被災地でも共通して起こる問題を再確認することができました。
そしてこれらの問題は、2016年に地震被害を受けた熊本や、2017年豪雨の朝倉市・日田市など、最近被災地になった地域にも共通するところがあります。
そして東北で継続的に活動している団体の失敗事例や工夫した事、新たな試みやその背景などの生かせる教訓やヒントを、もっと後の被災地に繋いでいきたいと思っています。

【東北訪問先】

宮城県
つぎはぎすっぺちゃ(仙台市)
きずなハウス(七ヶ浜町)
OPEN JAPAN日本カァーシェアリング協会(石巻市)
移動支援Rera(石巻市)
3.11みらいサポート(石巻市)
ON THE ROAD(石巻市)
女川町
気仙沼大島(気仙沼市)
など

岩手県
ほんまるの家(陸前高田市)
潮目(大船渡市)
鵜住居復興スタジアム(釜石市)
など

◇東日本大震災の当時の被災地の様子→こちら

145月/19

活動報告−九州スタディツアー準備編

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 災害NGO結の主な活動の一つに「伝える活動」があります。
各地の支援活動での経験を伝えることが、他の地域での防災につながるためです。

2018年から、伝える活動のプログラムに「スタディツアー」を盛り込みました。このツアーは、先輩被災地から後輩被災地へ、支援にまつわる経験を伝えてもらうことが一番の目的です。

企画のきっかけは、九州北部豪雨の支援について悩んでいた朝倉市(福岡県)の支援者の姿を見たことでした。当時は発災から時間が経って、目に見える課題から見えない課題の方が多くなってきた時期でした。そこで、1年半先に被災して支援を続けていた熊本の支援者に、中長期的な支援の方針や失敗談など、生きた経験を聞きに行く目的で実施しました。
また朝倉市、日田市、熊本の支援者が交流することで、九州地方の支援者ネットワークの構築をサブ目的としました。
実際に、ツアーの3ヶ月後に発災した平成307月豪雨では、熊本・日田・朝倉の支援者が連携し、愛媛県宇和島市で活動してくれました。

この一連の流れがあり、2019年の今年は、ツアーの参加者だった日田市支援者がホスト役となりました。日田市と朝倉市へ宇和島市の支援者を招待する企画です。今回結としては、ホスト側・参加側の両方と深く関わりがあるため、企画のサポートという形で準備段階から参加しています。
研修を深みのあるものにするため、何度か日田と朝倉で事前打ち合わせをしました。今の宇和島の課題などを共有し、スケジュールの微調整や事前学習会の実施などを提案しました。

それぞれの被災地では、被害規模や支援の背景などさまざまな違いがありますが、なぜその支援がされているのかという背景と目的や、長期的に発生する課題などには共通点も多いと考えています。また、発災からずっと一つの被災地に向き合ってきたこのタイミングで、ちょっと一呼吸置いて他の地域を知ることで、俯瞰的に各自の活動を見つめ直す機会にもなるはずです。
更にホスト側としても、自分たちの活動や課題を紹介することで自身を振り返り、それが新しい学びになると考えています。
今後もこうした場の企画やサポートなど、間接的に被災地を支援するという方法も取りつつ、細く長く被災地を応援します。

 

◇九州北部豪雨の被害のようす→こちら