代表の出身地沖縄の地元新聞の子ども新聞(毎週水曜日付属)の1〜3面に取り上げていただきました。
琉球新報、子ども新聞【りゅうPON】、3月5日発行号
結の活動や、沖縄の子どもたちへのエールなども載せていただきました。
もともと、沖縄の子どもたちにいろいろなことを伝えられるようになりたい、という思いもあったので、こうして一つ形になったことが嬉しいです。
災害を受けて建物を解体するので、まだ使えるもので必要なものがあればぜひ引き取ってもらいたい、という話を聞いた2月頭。土砂崩れの被害が大きかった油山地区の一番上流の旅館さんからでした。
旅館なので、布団やテレビ・小型冷蔵庫などがいくつもありました。社協さんなどを通じて困窮者支援などをされている部署におつなぎしました。
こうした活動がある時は、ふらっとで相談すると、まめっ隊や登録のボランティアさんなどが参加してくれる流れができてきました。どんな技術ニーズにも対応できます、とはまだいきませんが、ポロポロ出てくるニーズに対応できる体制ができつつあります。
活動依頼・ニーズ自体は落ち着いてきています。災害直後に必要となった資機材の多くも、役目を終えた部分が大きくなってきました。各地の組織から預かった資機材を返却するお手伝いもしています。
災害直後はたくさんの人があれもこれも持ってきてくれますが、災害から時間が経つとどんどん人手は少なくなります。緊急期の後片付け、は見えないけれど大事なことだと思っています。
2019年10月の台風19号の被害から丸3年以上が経過しています。
この春で被災した方の見守りを続ける「地域ささえあいセンター」の活動が一旦区切りを迎えます。
毎週、コンテナハウスで開かれていたサロンは、住民自治協議会(地域の自治会)に引き継がれるようです。今後は、災害由来の取り組みではなく、地域の取り組みとして続いていくのでしょうか。
災害直後に支援者が集まったことから始まった「長沼支援会議」も、一区切りのようです。
復旧活動のさなか、外部支援者などを集めて地域の課題などを共有した後、開催主体が地元の方たちに移っていきました。
丸3年をこえて年度の変わり目で、いろいろな枠組みが変わっていく時期です。
外部支援→地元支援から、さらに災害復旧→地元の取り組みに移行しています。
被災された方のサポートを目的としたみまもり支援センターでは、住民の方に郵送での状況調査を進めていました。その中でまだ支援が必要な世帯が浮かび上がってきます。
壁はがしなど実働も必要なニーズがありそうです。
静岡などと違い、人口密集地から距離があるため、こうした活動の担い手確保が難しい面があります。
災害後から関わってくれいている方たちと連絡を取りながら、どうにか県内などの範囲で対応できないか模索中の様子です。時々顔を出しながら、必要に応じてサポートしようと考えています。
集団避難が継続中の地域、小岩内地区。土砂崩れに沿って大きな被害があった家屋はすべて解体が完了し、山の中の応急的な工事にもめどがたったようです。「春には避難指示が解除できる見通し」との説明が行政からあったそうで、時期は明言されていませんが、仮設住宅に避難している世帯の半分以上は自宅に戻れる可能性がでてきました。
しかし、今まで被害の大小に関わらずみんな同じ場所に暮らしていたのに、今後は本格的に生活空間が区切られていくことになりそうです。
2016年の熊本地震からもうすぐ丸7年。益城町の仮設住宅も、2月で最終の退去だそうです。それに合わせてささえあいセンターも一区切りのようです。2020年の豪雨の県の見守り事業は継続中です。
九州のネットワークづくりや、7年のノウハウを借りに、また時々お邪魔したいなと思っています。
新年一番最初のイベントは、葵区で借りている拠点でのお餅つきでした。
土砂崩れなどの被害が大きかった葵区油山地区。災害発生後すぐからお手伝いで関わったご縁で、油山地区の2カ所で宿泊拠点として場所を借りていました。
その後、はままつna net経由のご縁から、油山地区の被災した家を借りることになりました。
年末からそのお宅の壁や床をはがして応急的に作りながら、宿泊拠点としています。被災した家を借りて拠点とするのは、長野・人吉に続いて3回目です。
今回の拠点整備には3つの目的がありました。
①宿泊拠点
はままつna netや、結や連携して活動するSOHなどのメンバーが宿泊できる場所の確保。宿泊拠点を整備することで、ボランティアの確保につながると思っています。
②実践の場
再生の行程を経験すると、家屋の構造がよく分かると思っています。
壁床をはりながら、電動工具になれてもらう機会にも。
ちなみに今回は、別の被災した建物の部材をはがして壁材などに再利用しました。はがす・直すで、研修の会場としても2回使用しました。
③もとの住民Kさんの居場所づくり
拠点の家は、災害まで使われいました。介護の問題などがあり、災害後すぐに細かな片付けもそのままに、別の場所に避難されている状態でした。
Kさんがとても地域とのつながりがある方だともお伺いしたので、地域に戻ってくる機会と居場所を作れたら、コミュニティの分断を防げるのではという狙いがありました。
実は、餅つきもこのKさんと地域の接点を持つためでもありました。
もともと地域のイベントなどを企画したり盛り上げる立場だったようで、Kさんが時々でも地域にいるといろいろな地域の取り組みが始まるのではとも思ったからでした。
外部から支援者が関わるようになったことで、残っていた家の片付けにも前向きになられました。
時々いらっしゃって荷物の仕分けをしています。
まめっ隊やふらっとに登録してくれたボランティアさんたちにもお手伝いしてもらいながら、災害後の片付けがだいたい終わりました。
この家については、今回たまたま使わせてもらうことになり、片付けを一緒に進めることができました。
他にも、災害後すぐに別の場所に避難してしまった方のお家などで、1から片付けや復旧を進める必要があるケースはちょこちょこあるのはと思っています。
(実際、いろいろな理由で今から片付けを始めるニーズがまだあがってきます)
こうしたニーズの対応には、長い時間がかかります。その分、地元で長く対応できるところがあると助かる人が多くなります。
そして、被災者支援者両方の集まる場として、清水区にできた、みんなの居場所ふらっとがその機能の一部を持ち始めています。
清水区の技術ニーズ対応の集合場所として、ふらっとに支援者が出入りするようになってきました。
近くの方が様子をうかがいに来たり、うわさを聞いて家屋の相談にいらしゃる方もいました。
支援者も地域の方も集まっていくから、あそこに行けば相談できると思ってもらえるような場所に近づいているようにも思います。
「災害」というくくりだけでなく、もともとの課題を考えたり、地域でつながる場にしていきたい、という動きもあります。
今後はもっといろいろな人たちを巻き込んで、居場所としての機能を広げるような見込みです。
災害をきっかけに生まれた場所として、今後もその役割を見守りながら、もう少しサポートを続ける予定です。
2022年8月の豪雨で被害があった、新潟県村上市。
台風15号の対応のために静岡へ向かって以来、寒波襲来などにも阻まれてなかなか訪問できていませんでした。ようやくタイミングが合って北上。
土砂崩れで大きな被害を受けた小岩内地区は、少しずつ復旧工事が進んでいました。といっても、ここからまた砂防ダムや河川の工事で復興には数年かかる見通しです。
被災された方の見守り事業や小岩内地区のことについてもまだまだ気になるので、今後も雪のないタイミングを狙って訪問できたらと思っています。
ひそかに、2023年の目標は毎月帰省としています。沖縄の所在を置く団体として、ちゃんと沖縄の軸足を作っていきたいなと思っています。
今回は、たまたまお声掛けいただいた、沖縄県産業資源循環協会さんや地域社協さんと顔合わせしたり、琉球新報さんの取材を受けたりしました。
恒例にしたいと思っている4月の沖縄研修も含めて、今後も沖縄の活動を少しずつ増やしていけたらと計画中です。
12月18日、静岡市清水区天王に「みんなの居場所ふらっと」がオープンしました。災害ボランティアの活動拠点にくわえて、地域の住民さんが集まる場所を目指します。被災地域の住民も支援者もふらっと立ち寄れる場を目標に、スタートしました。
ふらっとオープン日は、清水区ボランティアセンターの移転タイミングをこちらが意識したことも影響しています。被災地域の公園を借りて運営されていた、災害ボランティアセンターが、被災件数が多いエリアからすこし離れた駅前に移転したのが11月末。
ふらっとが位置する清水区天王は、浸水被害を受けたエリアのちょうど真ん中ぐらいにあります。地域の方に愛され、40年営業を続けたお菓子屋さんの店舗でした。しかし、被災をきっかけに閉店。 (秋月堂本店は被災を免れ、美味しいお菓子は静岡県内で購入できるのでぜひ)
実はこの店舗が、立地的にあつまる場にとても良いと、10月くらいから目をつけていました。お菓子屋さんの社長さんも、店舗のシャッターが閉まったままなのは心苦しかったので、と話されたそうで、お店側のご厚意に甘えて活用させてもらうことになりました。
県ボランティア協会などと話をして、まずはボランティアの活動拠点として確保する運びになりました。
集まる場が必要だと考えていたのは、静岡市の被災件数などをふまえてです。床上浸水4,462件(葵区600件、駿河区131件、清水区3,731件:静岡市、R412月28日時点)。水害の件数として大きな規模です。その中でも、清水区の件数が圧倒的に多い。
災害後の片付けをして、その先は自宅再建。水害にあった自宅をどう再建するのか(しないのか)、そこにはたくさんの救済制度や保険のこと、お財布事情や家の構造についてなど、判断にはたくさんの知識やノウハウが必要です。
数百万〜一千万規模のお金が動くことでもあり、判断はとても難しい。家庭の経済状態や考え方などで、復旧の進み具合にも大きな差が出てきます。
実際静岡市でも、年末までに修繕が終わり、お正月を自宅に戻って迎えられる人、まだ修繕中の人、3月以降にならないと工事が始まらない人、いったん掃除をしてキレイに見えるので修繕自体を迷っている人など、さまざまです。
だからこそ、いろいろな情報を共有したり、悩みをポロッとこぼせる場所が必要です。仲間がいて、支えてくれる場所があると知っているだけで、気持ちも楽になると思っています。
そうした背景から、あつまる場所がこうした時期にスタートしたのは、心強いことです。まだ、ふらっとという場所をどんな形の場所にするかは話し合いの最中でもあります。
同じく、被災地からはじまったあつまる場所のぬくぬく亭(長野市)などとも交流をつなぎながら、いろいろな可能性も示しつつ、地元の方を中心に進む先を見守りたいと思っています。
助言などと並行して、現場のニーズ対応へのサポートも続けています。
壁はがしや床はがしに加えて、寒さ対策なども実施しています。
工務店などの復旧工事が終わらない家も少なくありません。
前述のように、年明けにならないと・・という声はよく耳にします。その間の仮の床を設置したり、むき出しの壁をシートで覆ったり、マットやタイルカーペットを敷いたりしています。
見た目にはあまり上等ではありませんが、すこしでも寒さを感じにくくできればとしています。こうして少し踏み込んだサポートが関連死を防げると信じて。
もちろん、福祉ニーズなどの情報は、社協さんなどと共有しながら活動を進めています。
年明けには、被災された方の見守りを目的とした、地域支え合いセンターの設立の動きもあります。ここから長い復旧復興の道筋をサポートできるような体制づくりも今後必要になっていきます。
静岡市清水区と葵区にて、技術ニーズの活動調整や災害ボランティアセンターの運営サポートなどをしています。
災害発生から2ヵ月がたち、街中からは分かりやすい災害の跡(災害廃棄物の山や土砂の山など)は、少しずつなくなってきています。
そして浸水した家の中も、片付けと掃除が進み、水害があったとは分からないくらいにきれいになっている家も少なくありません。
これだけキレイになったから、壁とか床とか見えないところをやるのは気が向かない、という声もいくつか聞きました。冬の間に暖房で部屋の中が温まり、そこからカビが増えたりしていくと、再びニーズになるのかもしれません。
り災証明の証明書待ち、水害の保険金待ち、修理の見積もり待ち、工事開始待ち、などさまざまな理由で壁や床の対応ができていない(待っている)お家もたくさんある印象です。
また、応急修理制度(国から家屋復旧の経費最大60万円ほどが補助される制度)の手続きが難しく、「制度申請のためにもう3回も市役所に行った」という工務店や大工さんなどもいらっしゃいます。こうした点でも時間がかかり、工事のタイミングがずれ込んでいく一因になっているようです。
被災した家の復旧が終わるには、まだまだ時間がかかりそうですし、ボランティアニーズもまだポロポロ出てきそうです。
活動でいろいろなお家の状況を知ることになるのですが、福祉的な配慮の必要なニーズも少なくありません。災害がきっかけで顕在化した困りごとも見えてきます。
依頼されたところを早く対応するだけではなく、住民の方に気を配りながらの活動が求められます。お話をしながら、住民さんや世帯にあった支援をこちらから提案することも必要です。
例えば、こんなケースがあります
ケース1 80台後半の方が、ハウスメーカーのお家にお一人暮らし。お家に入ると湿気やカビの独特の匂いがしていました。ハウスメーカーの見積もりが高くて、修理費を出せそうにないから、壁も床も大きく触りたくないなぁと思っている様子。 浸水して1階が使えないので、介護ベッドを2階に上げて生活中。 ↓ 床下の水分量を計測。乾き始めていたので、送風機を設置して乾燥を促しました。普段から関わりのあるケアマネジャーさんを交えて住民さんと打ち合わせ、濡れている壁を最低限取ることを了承してもらい、壁をはがしました。年末までに1階にベッドを移せたらいいなと思っています。
ケース2 大人3人とペット多頭飼育のお家。 1階が被災したため、2階の10畳ちょっとのスペースだけで生活されていました。1階はキッチンを外してしまったので、洗い物はお風呂場。修繕の予定はあるものの、まだ見積もりも進まない状態。 ↓ 他の家でキッチンを解体したので、その流し台を移設。仮で設置して使えるようにしました。土足で上がっていたところを清掃や寒さ対策をして、1階を使えるようにしました。 壁の断熱材を撤去、カビがひどい場所は消毒対応をしました。地域の方にも情報を共有しながら、経過を見守っています。
ケース3 平屋のお家が被災。復旧作業中の怪我で入院し復旧の手続きが進まない状態でした。残された未成年の家族が、畳のない部屋で生活を続けていました。 ↓ 土砂撤去など終了後、畳の代わりに敷くマットを設置。寒さ対策をして様子を見ています。
ケース4 家族数人で住んでいらっしゃるが、親世代の年金が一番の収入源のお家。家計も厳しい様子ですが、それ以前に頼んでいる大工さんもなかなか来ない。床板がブカブカで、今にも抜けそうな床に板を渡し、その上を歩く生活を送られていました。 ↓ 床下の乾燥具合は問題なさそうだったので、床をはがすと同時に仮床を設置。暖房器具も水没してしまって寒いとの話があったので、寒さ対策でマットを貸出しました。社協のスタッフさんにも同行してもらい、根本的な問題解決のための支援を案内してもらっています。
この他にも、家族関係が上手くいっていないようなケース、高齢者で認知症のため家屋復旧の判断がお一人ではできないケースなど、福祉のプロに関わってもらうべき案件がたくさんあがっています。
社会福祉協議会がボランティアセンターをする意義は、こうしたニーズにつながっていくからだと思っています。
技術ニーズの調整役として、細部に気を配ってこうした福祉ニーズを見つけ出しながら、必要な人に必要な支援が届くように調整を続ける予定です。
土砂崩れのあった地域が多いのが葵区です。SeedsOfHopeなどの支援団体と連携し、葵区の山間部から近い地域を中心に土砂撤去ニーズの活動をサポートしました。
山間部は現場調査に行くにも時間がかかり、状況把握に時間がかかりました。
崩れた場所までの入口が狭かったり、土砂搬出のルートを確保しづらい場所などもあり、ひのきしん隊など人力でのサポートも組み合わせながら現場対応を進めてくれました。
10月中頃からは、DRT系の重機支援チームも葵区入り。各地に点在する土砂崩れ現場の対応を続けてくれています。
災害後、家屋や民家の敷地や民有地に流れ込んだ土砂などを行政が撤去する、宅地内土砂撤去の制度があります。
公的な制度による撤去と、NPOによる重機対応と、ボランティアセンターの人手での対応、誰が対応したほうが一番効率よいか?は現場によって違います。
土砂崩れや堤防の決壊現場など、土砂量が多い現場では重機などより大量の人で対応したほうが効率良いような場所もあります。
家屋がからむニーズや、生活エリアに近い用水路などの安全確保ニーズなど、優先順位を考えながら重機チームが対応しています。
宅地内土砂撤去 行政が地元の地元業者などに発注して実施される。どうしても調査や発注など準備が大変なこと、河川や道路啓開など公共的な場所を優先、などの理由から個人の敷地への対応が遅れることもあります。それでも、公的制度の性質を理解し、行政・業者・NPOなど関係する機関が役割分担できれば、復旧が早く進みます。
被害件数が一番多いのが清水区です。国道沿いに大型店が並ぶような街中も含めて、河川近くの住宅街がいくつも被害を受けました。入り組んだ場所も多く、ボランティアセンターの設置場所など、支援基盤をつくる場所を確保するのが第一関門だったそうです。
センターに寄せられたニーズには、技術支援が必要なケースも多く、そうしたニーズの整理・活動調整を引き受けました。
清水区・葵区共に、被災件数に対して災害ボランティアセンターに寄せられる困りごとが比較的少ないことが課題として挙げられます。
被災地域が点在して多いこと、一つひとつのエリアでは被害件数が多くない場所もある、7年前にも浸水被害を受けているような水害常習地域があり、よくも悪くも慣れていること、ボランティアセンターの存在を知らない・水害後何をした方がいいのかを知らない、などが考えられます。
支援が必要な人を見つけて、必要なだけのサポートをすることの難しさを感じる状況です。
ボランティアセンターに寄せられるニーズの上がり具合は落ち着きを見せていますが、完全にゼロにはなりません。春にかけて、ポロポロとニーズがあがり、細く長い現場サポートが必要になるのかなと見ています。
被災地支援での関わりがある、大分の支援団体NPO法人リエラからお声掛けいただき、彼らが受け入れサポートをしているウクライナファミリーの沖縄ツアーに同行。
沖縄の拠点を宿泊場所として使ってもらいました。
何ができるか?と考えていた課題に関わるきっかけをいただきました。
慰安旅行で沖縄に来ていたため、こちらからの質問は控えましたが、それでも数日の間にいろいろなお話を聞けました。
ウクライナに関わること、沖縄でいろいろな人を受け入れること、それぞれ今後も継続していけたらと思っています。
台風15号の影響により各地で被害が発生。特に被害が集中している静岡県のNPOから要請があり緊急支援を開始しました。
静岡県内の約半分にあたる15市町村に被害が出ています。各地で河川に沿った地域の浸水被害や、山間部や沢沿いで土砂崩れが多数発生、それが県内各地に点在しています。
災害発生の9月23日から時間がたつにつれて、あちこちの被害が明らかになってきています。しかし、10月15日現在も、被害の全容がつかめているとは言えません。
被害が点在、それだけで支援の組み立てが難しくなっています。
台風15号の被害について、全国のニュースなどではほとんど放送されていないように感じています。災害に関わる報道も清水区の断水が中心になり、県内各地の家屋被害などにはあまりスポットがあたらなかったのでは。
報道のしかたが世間からの関心度を大きく左右する場合もあります。関心が集まると、ボランティアも義援金も集まります。
地域によっては、被災された方が自宅復旧に向けて何をしたらいいのかの情報が不足しているところがあります。何をしていいのかが分からなければ、ボランティアセンターへのニーズもあがってきません。
「床下の泥」についての心配の声はありますが、「壁」や「断熱材」について知らない方もまだたくさんおられます。
災害後1〜2ヶ月の支援団体がたくさん集まる時期にニーズを上げておかないと、対応にこまることもあります。
訪問調査や住民への家屋再建説明会、サロンで声を拾う場を設けるなど、いろいろな方法で情報を届けて、現地のニーズを拾い上げる必要があります。
早期に避難所が閉鎖され、被災した家屋で生活を続ける人が圧倒的に多数を占めています。一番被害件数が多い静岡市内でも避難所は現在閉鎖されてありません。
給湯器が壊れて長い間お風呂に入れなかった、家の片付けが忙しくて食事を作る気力がわかないなどの声が聞こえます。濡れた畳の上で生活を続けていた人がいたり、寝具が流されたので床の上で寝ている高齢者がいたりと、大変なケースがいくつも共有されています。
困っている人が全員避難所にいれば、把握も情報提供も簡単ですが、自宅に戻ってしまっているので見えにくくなっています。
丁寧な情報提供と状態の把握、個別の対応が求められています。
家屋復旧の過程では、浸水した部分の壁や床(とその中にある断熱材)を撤去します。壁や床がない状態では、外気の流入で室内温度が下がってしまいます。
関連死を減らしたり、二次災害を減らすためにも、壁や床に仮貼りするなど、応急対応が必要だと見ています。今から大工さんをお願いしても、来年になってしまうという話も聞こえてきました。
技術ニーズで壁や床をはがすと同時に、はがしたところへのサポートも必要そうです。
静岡県ボランティア本部からの要請を受けて、県域の情報収集と支援団体との情報交換、静岡市清水区・葵区それぞれの技術ニーズ調整などに関わっています。
当初、葵区の災害ボランティア受け入れ体制が弱かったので、補強する形で活動しました。重機支援ができる団体などを呼び込みながら、NPOが活動できる体制づくりを進めました。
結としても、県外からの技術支援チームを受け入れして、技術ニーズに対応しています。
特に発災から2週間を経過した清水区では、被害研修が多いにも関わらず、ニーズが予想以上に上がってこない状況もあり、課題が深刻と捉え、1週間ほど前から活動のウエイトを清水区に置き換え、運営支援、技術系ボランティアの調整、連携体制を整える活動に力を入れています。
新潟県の緊急支援を8月から続けて実施しました。
村上市災害ボランティアセンターに寄せられた技術ニーズをNPOで対応しました。現地調査、団体への対応振り分け、住民さんとの連絡やボラセンとの連携を結で担当しました。
災害ボランティアセンター開設当初は、技術支援があること、その必要性などの認知が低く、ニーズが上がりにくい状況にありましたが、支援団体が家屋対応をする様子を現地で見て、近隣からニーズが少しづつ上がってくるようになりました。
浸水被害があった地区の中でもS地区では、築年数の浅い家やハウスメーカーの家が多く、対応が難しい案件がいくつかありました。床下浸水でも、構造面から壁や床の撤去が必要になるケースもあり、金銭面の負担が大きくならないよう、活動を行ってもらいまいました。
愛知人やひのきしん隊、PBVなどが現場での対応を進めてくれたおかげで、9月後半には技術系ニーズ数が0に近づき、一般ニーズの件数も落ち着いて来たので、月末からは災害ボランティアセンターが週末型に移行されました。この先は、ニーズの上がり具合によって週末対応に切り替わっていきます。
9月に入ってから着手に至った地区もありました。
大きな通りから外れ、数件が巻き込まれる規模の土砂災害は、被害を見つけるのに苦労します。関川村で活動していた支援団体たちに村上市に移動してもらい、優先的な対応を依頼しました。
隣接して30分で往来できる立地にあるからこそ、こうした調整ができました。
土砂災害によって大きな被害を受けて、避難指示が続いている地区がありました。被害を全く受けていない世帯も含めて、仮設住宅への集団避難が進められました。集落の上流にある砂防ダムの修復や、河川の工事が終わらないと、地域全体の避難指示解除は難しい見通しです。自治会単位でまとめて仮設住宅へ避難が進んだので、コミュニティ維持は出来ると考えられますが、地域とのつながりをどう保つかが今後の大きな課題となりそうです。
また、この地区は課題がある一方で、地域に関わりのある消防団など若手メンバーが活発に動いています。助成金申請をきっかけに、地域の中でチームを立ち上げる動きがあり、申請準備を手伝う中で、今後考えられるフェーズの移り変わりや、過去の被災地の事例などを伝えました。
この小岩内地区を中心に、必要な時に必要なサポートができるように、継続的に通う支援を続ける予定です。
長野県社会福祉協議会からの依頼を受けて、災害ボランティアセンター運営者研修でお話をさせていただきました。家屋模型を使って、水害があった時に必要な家屋の知識や、現調のデモンストレーションなどを実施しました。
また、村上市でも災害ボランティアセンターにて、ボランティアさんへの研修を活動までの待ち時間に模型を使って行いました。
9月の三連休に台風が次々と接近、各地で大雨による被害などをもたらしています。宮崎県などで被害がありますが、九州南部を中心にした範囲で対応できると判断しました。
続く台風15号では静岡県内各地で被害が発生しました。同県災害ボランティア本部からの要請を受けて現地での支援を始めています。詳細は別途台風15号緊急支援レポートとしてまとめます。
8月3日の豪雨により、北陸〜東北地方の各地で被害が発生しました。
信頼できる支援団体と情報交換やメディア、ネットでの情報収集を開始、連携しているJVOADと協議し調査のため九州を出発しました。
8月5日に石川県小松市、6日に新潟県関川村と村上市の現地をまわりながら被害状況を調査。
現地からの依頼を受けて、新潟県内での活動を開始しました。
村上市では、市内複数箇所で土砂災害が発生。その規模もさまざまです。重機など技術系支援団体による活動が進んでいます。
一番甚大な被害を受けた地域は、集団避難の準備が進められていて、今後も地域コミュニティやまちづくりの面でいろいろな支援が必要になると見ています。坂町駅前地域も広域に浸水被害が発生。床上浸水も多く、特にハウスメーカー製の家への復旧サポートなどが必要になりました。床下浸水でも床下や壁の対応が必要な案件も多く、相談対応や技術対応を続けています。
関川村でも浸水被害を受けた高田地区と、土砂災害を受けた湯の川地区があり、同じようにそれぞれ技術系支援団体が活動しています。
車とバイクを使い分けながら、被害の大きかった村上市と関川村を一日に何度も往復。
支援団体の活動状況などを共有してもらいながら、面での支援体制を考えました。NPOの活動調整として、技術案件に対応するため、技術ニーズ調整班を設置。
結が窓口を担い、社協、NPOが活動をしやすい体制にしました。
社協との連携だけでなく、技術支援チームが効率よく活動を進められるように、行政の担当課などとの打ち合わせも重ねています。
災害VC開設からすぐは、地域からのニーズがあまり上がってきませんでした。
対策として、民生委員や社協職員が現地でローラー調査が実施されましたが、その前のオリエンテ−ションでは現地調査についてのレクチャーなども担当しました。
また、珈琲炊き出しやマッサージなどの支援調整も行い、作業だけではない支援を繋ぎ、地域のコミュニティが戻るきっかけ作りをお手伝いしています。
熊本地震で出会った支援者とのつながりがあり、早い段階で宿泊拠点の確保ができました。
宿泊拠点があることで、OPENJAPANの重機隊や、信州ひとまる、旅人チーム、九州テクニカルネットワークやそこに関わる支援者が活動に参加してくれました。
また、代表の親戚の小学4年生や、いつもの支援チーム代表(4歳)、拠点大家さんの娘ちゃんなど、子どもたちが来る宿泊拠点にもなりました。
小さいときから先入観なく被災地に通い、炊き出しのお手伝いや土砂だしなど、楽しみながら活動する姿が見られました。
大人たちがためらいなく被災地に来れるだけでなく、小さいときから困った人に声をかける体験は、それだけで未来の力になるとも考えています。
今後も「子どもと一緒に活動できる」体制を作っていきたいと思います。
連携団体
村上市社会福祉協議会・関川村社会福祉協議会・DRT- JAPAN・DEF-TOKYO・レスキューアシスト・愛知人・九州テクニカルネット(DRT- JAPAN Nagasaki/ボーダレスファイヤ熊本・DEF-SAGA)・ピースボート災害支援センター・OPEN JAPAN・ボンジャス・ゴリラ・東京消防チーム・ひのきしん災救隊・信州ひとまる