Category Archives: 活動報告

116月/25

2024年度報告書ができました

いつも災害NGO結の活動を通じて、被災地を応援してくださりありがとうございます。
遅れ馳せながら、能登半島地震の活動報告書ができました。

2024年後半の活動件数など実績を「広域支援ベースVol.2:1年版」に、
能登半島地震の活動を通じて見えてきた課題や結の活動報告を2024年度報告書に、まとめました。


印刷中の報告書は、準備整い次第ご支援くださった方に送付する予定です。
資源や経費削減のため、PDFデータでの報告書送付も進めています。
こちらからダウンロードなどで御覧ください!

ご支援くださった方で<支援の報告フォーム>に記載いただいた方には、紙版の報告書送付を予定しています。
紙版送付をご希望の方は、フォームから連絡先をお知らせください。

本当にたくさんの方に支えられて、2024年度も活動を続けられました。心より感謝申し上げます。ありがとうございます。
まだまだ復旧の最中の能登を支え、巨大災害への備えを進めたいと思っています。
この夏こそ穏やかなシーズンであってほしいですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

086月/25

5月レポート

5月も全国各地からたくさんのご支援をいただき、能登半島地震をはじめとする被災地での支援活動を行うことができました。物資の提供やボランティア参加など、多くの皆さんの温かいご協力に心から感謝しています。ありがとうございます!

ガッパロックスでの活動

5月10日・11日に開催された「ガッパロックス」に、コネクトさん(TOKYO TANA-KAさん)からのお誘いで参加しました。ブースでは、地震や水害をきっかけに立ち上がり、現在も現地で頑張っている地元団体の紹介を行い、グッズ(Tシャツやステッカー、ブルーシートバッグなど)の販売支援も実施しました。
発災から一年半近くが経過した能登半島では、地元の方々が地域のために動き出しています。外部支援者として、地元の自立を応援することの重要性を再認識しました。

地域活動の継続と支援

能登半島地震の被害の特徴の一つに「人口減少」があります。仮設住宅や借り上げ住宅、在宅などで生活の場や環境を変えざるを得なかった方々が多く、地域内での対応が難しくなっています。
側溝の土砂出しや草刈り、田植えなど、地域活動の維持が困難な状況において、地域の方々と共に活動を行い、地域の維持に貢献しています。今後も地域の方々と共に、土砂出しや草刈り、田植えなどの活動を継続し、地域の維持に努めていきたいと考えています。

たまり場町野ベースの設置

仮設商店街やコミュニティセンターの完成までに時間がかかる町野町において、地域住民が顔を合わせ、お話ししたり、食べたり、飲んだり、モノを作ったりできる場所として「たまり場町野ベース」を設置しました。
赤ちょうちんやたこ焼き、ボッチャ、お茶会など、さまざまな企画を地域住民と共に運営しています。地域住民と共に運営していく「助っ人」を募集しています。

これらの活動は、地域の自立支援やコミュニティの再生に向けた重要な取り組みであり、今後も継続的な支援と協力が必要とされます。もし、これらの活動に参加したり、支援を行いたいと考えている方がいれば、公式ウェブサイトやSNSなどで最新情報を確認して、関心を持ってもらえたらと思います。

265月/25

4月レポート


桜が散り、新たな季節を迎えた4月。色々な変化と息吹を感じることのできた月でした。

今年度のスタートと共に、これまでお世話になった関係者の移動や、新たな取り組みが始まりました。特に、水害で被災した幼稚園の復旧工事が完了し、不要になったコンテナの移動なども行われました。春の訪れと共に、地域の様々な活動が動き出しています。

家庭菜園と自然の恵み

水害後、多くのボランティア方の協力を得て、家庭菜園の再生が進んでいます。暖かな日差しの中、地域の住民の方がそれぞれの家庭菜園をはじめています。また、奥能登地方では、山菜や海藻など、自然の恵みを収穫することができ、改めてこの地域の力強さとたくましさを感じました。

【受け入れサポート】
4月も多くの支援活動が行われました。

 

* ANAとのボランティア企画
大阪発のボランティアツアーが実施され、1日目はボランティア活動、2日目は観光と、奥能登での滞在型ツアーとなりました。
* 味の素グループの支援
昨年に引き続き、約10日間にわたって70名近くのボランティアが東京や三重から参加し、家庭菜園の再生や道の駅の清掃、家財の搬出などに取り組んでくれました。
* 静岡県旅館組合とのスタディツアー
和倉温泉(七尾)やねぷた温泉(輪島)を訪れ、発災からの歩み、再建に向けた課題、そして災害前の備えについて、旅館経営者や関係者と意見交換をしました。被災地の現状を伝えることができ、参加者にとって有意義な学びの場となったと思います。
今後も防災や街作りに関する学びを深め、ボランティア活動を通じて地域の支援を続けていきます。

【準備作業】

4月中旬からは、GWを前に様々な準備が進められました。
* 田植えの準備
地元の方々と共に、水路の土砂撤去や代掻き、畦塗りなど、田植え前の準備を行いました。地域の協力があってこそ、豊かな収穫が期待できることを実感しています。
* 道の駅のオープン準備
地震以来初めて営業を再開することとなった道の駅千枚田では、ボランティアの協力を得て、ガラス拭きや床掃除などの準備を行いました。
* コンテナ移動
今後、地域のコミュニティ支援を強化するため、仲間たちと共にコンテナ移動を行い、地域の人々が集まれる場の整備に取り組んでいます。

【沖縄研修】

昨年は能登半島地震の対応で開催を見送った沖縄研修を今年は実施しました。参加者には、砂糖や塩作り、ヤギや鶏の世話、平和学習やビーチクリーン活動を通じて、沖縄の自然や文化に触れてもらいました。
沖縄研修は、沖縄戦の悲しい過去を知り、現在の課題に対する理解を深めることを目的としています。沖縄の海や食、文化を学びながら、参加者が何かを感じ取ってくれることを願っています。
今後も平和学習や災害支援活動を続け、地域に貢献していく予定です。

 

 

 

145月/25

3月レポート

2025年3月、能登半島地震からの復興支援活動は新たな局面を迎えました。七尾市の旧西岸小学校を拠点として行っていた広域支援から、輪島市へと拠点を移し始めました。

拠点移行と広域支援の終了に向けて

広域支援の拠点として多くの支援者に利用されていたお風呂、体育館、教室、給食室などの施設を清掃しました。3月中旬には、全国各地から70人以上の仲間たちが集まり、交流イベントを兼ねて大掃除を行いました。能登半島地震の活動を通じて新たに出会った仲間たちに、改めて感謝の気持ちを抱く一日となりました。

なお、来年度(2025年度)は輪島市を中心に活動を展開し、拠点も門前町や町野町へと移行していく予定です。

多様な支援活動の展開

日々の復旧作業に加え、3月には奥能登(珠洲市、輪島市、能登町)の子どもたちを富山のスキー場に招待するイベント(子ども支援)のサポートを行いました。また、新潟の学生や東京からの企業、アスリートメンバーと共に、千枚田の復旧作業(産業支援)も支援しました。

これらの活動を通じて、地域の皆さまの表情に明るさが戻り、ボランティアや住民の笑顔が増えていく様子に、私たち自身も大きな喜びを感じています。

支援の輪を広げる活動

能登半島での活動に加え、関東(東京、神奈川、千葉)にも足を運び、これまでお世話になった方々との再会や、能登半島地震での経験を基にした研修・講演を行いました。これらの活動を通じて支援の輪が広がり、より多くの方々と共に復興に向けた取り組みを進め、防災にも役立てていただければと願っています。

能登で活動している仲間たちの支えがあってこそ、能登を離れての活動が可能となっています。長期にわたって関わってくださっている皆さまに、改めて感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

最後に

災害NGO結は、今後も地域の皆さまと共に、能登半島の復興に向けて尽力してまいります。引き続きのご支援とご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

093月/25

2月レポート

「例年通り」くらいではありますが、2月に入ってからまとまった雪が数回。
拠点前も20センチぐらいの積雪でした。

雪で地震や水害の復旧対応もできないため、気になっているお家などを訪問しつつ、雪かきのお手伝い。

本来雪が降る能登では「自分で雪かきできなければ自宅での生活はできない」
しかし、地震で旦那さんが亡くなってしまって例年通りの雪かきができないお家も。地震や水害の影響で、お手伝いが必要な場所が少し増えたのかもしれません。やり過ぎず、お困りの範囲だけをと心がけてお手伝いさせていただきました。

また、寒波が週末に影響して、ボランティアセンターが休止になったため、日時指定や急ぎ対応が必要なニーズの対応を受け取ったりしました。

各地の公民館や集会所などをお借りして、サロンをしています。
最近は、ただお茶を飲むだけでなく、みんなで一緒に作ることが多くなってきました。

沖縄から送った材料でムーチー(鬼餅)を作って食べたり、廃棄予定の大豆を豆腐屋さんからいただいてみんなで味噌を作りました。

みんなで作ったことがないものを作ったり、住民さんの中から先生になってもらってワイワイ作ったり、楽しい雰囲気で集まる場になっています。

こうした場では材料費という形で、参加者の方にも少し負担を作るときもあります。
支援を受け入れ慣れし過ぎている部分もあるので、「支援を受ける」だけの形からは少しずつ変えていきたいのです。

 

講演や研修の予定を合わせて、少し能登を不在にさせてもらいました。

研修のついでに足をのばして、2022年におじゃました静岡市葵区にも久しぶりに行くことができました。

土砂災害後に再オープンした旅館さんに行けたり、長野で一年かけて寄付活動をしてくれた小学生たちから直接支援金を受け取ったりする時間が持てて、大変ありがたかったです。

今後も少しずつ、県外に能登のことを伝える時間を取ったりできればと思っています。

062月/25

1月レポート

年末年始は震災から一年の節目。
普段以上に全国各地のメディアから取材が入っていた印象です。多くの住民の方が取材に応じていたり、今まで現地でお世話になった方が番組で取り上げられたりしていました。
そうして取材でにぎわう一方、能登でお正月を迎えない人も一定数いたようです。例年は家族が集まっていた家に比べて、仮設住宅はかなり狭い。
(1Kの仮設の部屋に孫たちが泊まりに来て、押入れや廊下も使って寝泊まりしたという話も聞きました)
泊まる場所がないので集まるのを見送る方、お正月のタイミングは気持ちが落ち着かないから金沢に行くという方も。これまでとは異なる環境の中で年末年始を迎えられた方が多くいらっしゃいました。

 


特に輪島市門前町では、今まで活動しているNPOで分担して仮設住宅の集会所などで年越しの集まりが企画されました。
一人で年越しをされる方は、ひとりテレビで能登半島地震の特集を見るかもしれない。必要以上にさみしくならないように、できるだけ年越しの期間は近くにいたいねとの意見からでした。
私たちも、仮設住宅の集会所にて年越しそばやおせちを食べて、地域の方といっしょに年越しさせてもらいました。

今年は、仮設住宅や在宅コミュニティにおいてワークショップやサロンがたくさんできればいいなと思っています。
もともと、能登の寒い冬は家にこもってしまう方が多いそう。
しかし地震と水害で生活がガラリと変わった方も多いので、閉じこもったままは少し心配になります。
地域の方同士が集まれる場をつくったり、訪問したりして、安否確認や様子うかがいができるような取り組みを進めています。

現場のニーズについては、年内にある程度対応の進んだところです。
寒さや天候もあって年があけてからは少しスローペースになりつつあります。
が、公費解体が進むからこそ出てくるニーズもあり、対応が必要な案件はゼロにはなりません。
他の団体と相談しつつ、重機での土砂撤去や家財移動など対応を続けています。
今までは道路の応急復旧などで入りづらかった場所もあります。
悪路で通行に注意が必要なため、NPOが先行して土砂撤去や状況の整理に入りはじめました。
春に向けて一般のボランティアさんが入れるように、関係各所と相談しながら今から進んでいく地域があります。
今後も降雪などの状況をみながら、安全第一で活動する予定です。

こうして現場で必要な資機材を、行政で準備・活用できないかと、県や市と協議しています。
「災害救助法」や「堆積土砂排除事業」などの制度で、NPOが敷地内で土砂撤去活動をする費用をカバーできるのが理想です。
しかし、会議を重ねるほど、制度の運用の難しさを痛感します。
災害時における制度の簡素化が必要であると同時に、ひとつひとつ丁寧に事例を作っていくべきだと改めて感じました。

 

また、現地で活動を続ける中で、自立を促す支援が増えてほしいと感じることが多くなりました。
仮設住宅では、現在も炊き出し支援や物資配布があります。
もちろんたくさんの方に喜ばれているのですが、状況によってはかえって自立を妨げる要因となる場合も。一部の地域では不安の声も聞かれます。
まだ支援を必要とする方々は多くいらっしゃいますが、状況に応じた適切な支援を考える人が増えたらいいなと思います。
支援の「引き算」を考慮すべき段階に入っているのかもしれません。

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3112月/24

2024年活動報告

1月2日能登半島に来てから、たくさんの方のお力をお借りして、能登半島各地で活動してきました。
数えてみると、なんと12月31日までに累計12,138名の方が広域支援ベースや結を経由して活動してくださいました。
本当にたくさんのみなさんにご協力いただき、2,100件以上の活動ができました。
上半期の活動実績詳細はこちら

地震の被害が大きかった分、たくさんの方にご支援いただきました。
今までずっとサポートくださっているみなさま、今回の地震以降知ってご支援くださったみなさま、能登半島で一緒に汗を流してくれたみなさん、本当にありがとうございます。心より感謝申し上げます。

2024年1月1日16時10分からもう一年。
今までで一番長い緊急期です。
9月の水害の影響もありますが、365日たってもまだ緊急期の場所があります。

多分全国で報道されているより、現地で感じる被害は大きく、ここから復興までは長くかかる印象です。
簡単に比べられませんが、過去の地震被害よりもしんどい場面があります。
1月以降の復旧に関わったいろいろな機関の方が、それぞれ能登半島の被害の特殊性を感じているはずです。

特殊な被害になったポイントは2つ

【被害の大きさ】

・ライフライン
こんなに断水するなんて、誰も想像できませんでした。断水したまま9月にも豪雨被害があったし、まだ断水や停電したままの場所もあります。
まだ避難所にいらっしゃる方もいます。道路を含めたライフラインが復旧しないから、家に帰れない方が少なくありません。
ライフラインが整わないから、支援体制を構築するのも難航した部分があります。


・二重、三重被害
2023年5月に珠洲市で震度6強、2024年1月の震度7、9月の豪雨と度重なる被害に見舞われています。
1月の地震から復旧を進めていた家が水害にあってしまったケースもたくさんあります。地震で一部損壊で直したら住めるので、屋根を100万円かけて修理したけれど、9月の豪雨で土砂と流木が家に流れ込んでしまいました。
半壊に至らないような被害、まだしっかり建っているから修理している最中のケースをいくつも聞きました。
仮設住宅で停電や断水になったり、仮設住宅が床上浸水した事例は、今までの被災地史でも初めてな気がします。


・復旧感がない
地域の住民の方に向けたアンケートでも、半数以上が復旧の進みを感じられていないと回答。現地に毎日いる私たちも、復旧している感じを受け取りにくい状況です。もちろん、ハード面での復旧はガツガツ進められています。大きな道もかなり段差がなくなり走りやすくなりました。公費解体で更地も増えてきました。
それでも、地域が復興に向けて前進している感覚は薄いのです。
毎日の風景に、まだ被害の爪痕がおおきいこと、今後復旧していくイメージをつかみにくいことが関係しているでしょうか。
一体この先、自分の生活がどうなっていくのかが考えられず、不安な気持ちを抱えていらっしゃる方も多いはずです。
安心して生活再建できるような、大きな支えが行政からあればいいなと思います。

 

【半島の特性】

・人口減
もともと高齢化で人口減少していた能登半島です。地震がきっかけで能登を離れる人も。行政職員などの離職も多いと聞きます。
せっかく地震後に再開した小さなお店も、町の人口が大幅に減ってしまったことで営業が厳しい。
人口減少が爆発的に進み、街の機能の維持が難しい局面にきています。
福祉施設の職員不足で、デイサービスや入浴支援ができない。だから、体が不自由になってきた高齢者は、家のお風呂に入れなくなったら家での生活ができない。その人らしい生活を支えるための機能が少しずつ滞っています。
地震や水害をきっかけに小学校などが一時的に統合されていたりもします。このままでは、うちの地域の小学校がなくなってしまうのでは?と危機感がある地域も多いはずです。小学校が統合されてしまえば、人口減少はもっと進みます。
もともと、人口規模が小さかったので、地元の業者さんも少ない。そもそも全国的に職員不足でもあるので、公費解体や復旧で、あちこちからの業者さんが入っています。外国人の方で解体に従事している人もよく見かけます。

人口減少が、本当にたくさんの課題に結びついています。
一つひとつの課題が人口減少によって難しくなっています。
人口減も高齢化も日本全国の共通課題。
今の能登は、全国どこでも起きえることだと感じています。
今だからこそ、能登の課題を全国各地でしっかり自分事として考えてほしいのです。

80代のお母さんと50代の息子の二人暮らし。仮設住宅は1部屋とキッチンだけ。6畳ほどの一部屋で、生活リズムの違う二人が寝起きする。それだけでなく、ご飯を食べるのもテレビを見るのもその一つの部屋。
こんな息の詰まる生活無理だ、と隙間だらけの家に戻る方や車庫で暮らす方もいらっしゃいます。
仮設が狭いから、電気や水の来ない家に世帯の一部だけ戻っているケースも。
空間的な狭さから、家庭内暴力につながっているという話は過去にもよくありました。

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
憲法25条の存在を何度も考えた1年でした。

避難所の問題も、仮設住宅の使いにくさも、災害廃棄物も毎度の課題。
いつも同じ課題が議論されていたりします。
過去の被災地で議論された課題が、ちゃんと次の被災地の復旧では解決されていきますように。ノウハウの引き継ぎがしっかりされるような国の体制構築を一刻も早くと願います。

1312月/24

11月レポート

水害後、断水が続いていた地域も応急的な復旧がされはじめ、ライフラインはかなり落ち着いてきました。
(もちろん本復旧はまだまだだったり、道が通れないことでまだ行けない地域や停電と断水が続く地域もあります。)

命をつなぐための炊き出しフェーズは終わりになったと思っています。
そこで、炊き出しからサロンに切り替えて、小さな単位で集まる場を作っています。

こんなところまでボランティアが来てくれたの初めて
炊き出しは大きなところでやっているからもらいに行くのは遠かったりもあってできなかった
というおばあちゃんたちもいました。

小さな単位で開催することで、地域の方同士が集まって井戸端会議をする機会に。
あそこの家解体始まったって?
◯◯さん金沢から戻ってきたらしいよ
とか、地域の情報が共有されていました。

12月から本格的に寒くなりますが、できるだけ小さな単位での集まりができるといいなぁと思っています。

 

11月から輪島市災害たすけあいセンター(ボランティアセンター)のサテライトが増えました。
一度にたくさんのボランティアさんを受け入れたり、輪島市に直接来てもらうボランティアさんを確保するためです。
(今までは県が手配したボランティアバスのみでした)

サテライト増設に伴い、少しだけ運営のお手伝いも始めました。
災害から時間がたつごとに、職員の疲労も蓄積されるし、県外からの職員派遣も減少。
NPOで引き取れる範囲はできるだけ引き受けて、少しでもセンター運営が楽になればいいなと思っています。

サテライトから片道30分かかる南志見地区についても、結メンバーが1〜2名常駐し、たすけあいセンターのボランティアさんを受け入れしています。
被害が大きかった地域に、コーディネーターがはりついていることで、地域の細かいニーズを拾えたり、臨機応変な対応がしやすいのです。
小田屋・尊利寺など大きな被害の地域があるため、たくさんのボランティアさんが必要でしたが、少しずつ町がきれいになってきています。

ボランティアセンターではできない、重機対応や床下もぐりの土砂撤去も継続中です。
寒くなってきても、変わらずいろんなところからお手伝いに来てくださる方がいるので、こうしてNPOの活動も続けられています。

まだベタベタの床下にもぐって泥を撤去して、ブルブル震えながら帰って来るみなさんには感謝しかありません。
少しずつたくさんの方に関わってもらって、住民さんの笑顔を見ることができました。

 

 

雪が降る前に

ボランティアセンターや私たちの活動の合言葉は、
”雪が降る前に生活の中から泥をなくす”
雪が降る前に、どれだけ泥を撤去できるのかがポイントになると思って活動しています。

能登半島は12月に入ると雪がふりはじめると言われています。
泥の上に雪が積もってしまったら、2倍撤去しなくてはいけない。
雪が積もり始めたら、ボランティアが能登に来ること自体も難しくなります。

土砂を抱えたまま冬を過ごすのではなく、雪解け後すぐに復旧が進められるようにと思っています。
そして、その泥を撤去する範囲は、家の中や敷地内だけでなく、生活の中から。
地域の道や溝、個人で生きがいにしていた家庭菜園などからも土砂を撤去できればいいなと進めています。
生活の一部である畑。

災害後、いろいろな要因で畑ができなくなって(水害以前からでもありますが)、毎日やることがなくなって生活に張り合いがなくなった方や、体を動かさなくなって体力低下してしまった方などがいます。
一人ひとりが健康に復旧していくためにも、能登では生活に畑が欠かせないものだと感じています。

 

水害ニーズの対応だけでなく、少しずつ地震ニーズの対応も再開しています。

街の中ではまだまだ倒壊した建物が多いような印象を受けることもありますが、少しずつ解体は進行中。
公費解体に伴う荷物移動のニーズなども上がってきています。
地震後は立っていて大丈夫だった建物が水害後倒壊してしまい、倒壊した家の中に入って土砂を撤去しながら貴重品を探すニーズもありました。

 

この先に不安だと思っていることが、雪対策。

仮設住宅での雪かきはどうなるのか?など、随分と前から冬の体制については不安の声が聞こえていました。

地震後からの雪は、例年になく少なかったそうで
「あんなに雪がふらなかった冬は初めてだったかもしれない」
と地元の方が言っていたほど。
加えて、地震後に復旧対応で今よりもたくさんの業者や支援者がいたため、どうにか除雪ができていました。

地震前の、2023年の暮れにもすでに大雪で孤立した地域がある能登半島。
この冬は大雪との予報もあります。
大雪で再び孤立する地域が発生する可能性は高い。

山間部に在宅している方も少なくありません。
今から冬の対策をと声掛けしています。
孤立しそうな地域には、雪のお守りとして、水や食料などをセットした対策バッグを作ってお届けを始めています。

0710月/24

9月レポート(能登豪雨)

9月の豪雨で犠牲になられた方に心よりお悔やみ申し上げます。再び被害にあわれたみなさんが、一刻も早く安心して生活できるように、できるだけのことをしていきたいと思っています。

地震のニーズが落ち着いてきたけど、ゼロには当分ならない。でも全国的な支援も縮小していくので、どうやって能登の各地を支えるかを考えていました。
水害に見舞われるまでは。

常々どこに災害が起こってもおかしくないと思っている私たちでも、おどろきショックを受けました。

いつも活動で見慣れた景色が濁流にのまれた
活動でお世話になった方が亡くなったというニュース
支援に入ったお家が泥だらけになったこと
仮設住宅が浸水する光景
心が折れたと口々に話す方たち

一軒ごとの浸水高はそこまで高くない場合もあります。
しかし、ようやく修繕が終わった家だったりもするのです。
復旧を進めていた矢先、今までの苦労が水の泡になって濁流にのまれてしまいました。

新しく入れたエコキュートが一回も使わないのに土砂でやられた
屋根の修理が終わった翌日に床上浸水になった
浄化槽の入替えが済んで仮設住宅を退去しようとしていた
地震で母屋に住めないため納屋で生活していて、ようやく仮設入居ができて一カ月もたたないうちに仮設が床上浸水した
地震後新築した家が被害にあった
中古でどうにか買った車が水没した
など

倒壊した家屋から、どうにか大切なものを探し出し置いていた方。その倉庫が浸水したという話もよく聞きます。
どう声をかけたらいいのか、迷うような状況に何度も出会います。

仮設住宅が床上浸水するのは、今までで初めてのことではないでしょうか。
初めてのことで、いろんな混乱や想定していなかった課題が生まれています。

例えば、支援物資が仮設住宅の集会所などに運び込まれ支援スポットになりました。
仮設住宅で停電や断水したためでした。
同じく仮設住宅の近くの地域も停電や断水があって、近隣住民も仮設住宅の集会所へ物資を取りに行ったところ、この物資は仮設住民の物、と追い返されてしまったとのこと。
ふだんの緊急期なら、避難所が物資支援などの拠点になるのですが、仮設住宅があることで住民の方への支援拠点が分かりにくくなっているのだと感じました。

今回の水害で、再び孤立した集落もたくさんあります。
仮設住宅含めて孤立してしまった所もあります。
今回の孤立が解消されても、また集落へのアクセスが絶たれてしまう可能性も。
地震と水害で集落への道が全て断たれ、1週間たっても車で行けない地域があります。
歩いたら行ける場所へは、何人かでチームを作って歩いて物資を届けたり、歩いて土砂撤去のお手伝いに行ったりしました。
どうにか避難しようとしていた方と出くわして、おんぶして山を降りてきたこともありました。

家屋だけでなく、地震から復旧した商店や事業所なども被災しています。
そうした地域を支える生活インフラへの支援も、とても重要です。
なりわいへの支援が見出せないと、人々はそこで生きていけません。
生計を立てられるイメージがなければ、絶望して最悪の事態を選んでしまうのではないかと心配しています。

町野町では、地域唯一のスーパーが被災してしまい、生活用品や食料品を買える場所がなくなってしまいました。もともと買物困難な方もいたため、移動販売車が仮設住宅などを巡っています。しかしそれも十分ではありません。地域のスーパーが営業できなくなったことで、水道や電気が復旧したとしても、食事や生活に困る方が一定数いらっしゃいます。

高齢化、移動困難、山間部の集落維持、人口減少、それぞれもともとの課題です。

復旧復興とともに、地域やまちをどうしていくのか、どう支援を入れていくのか、誰がどう対応していくのかは早めに議論される必要があると感じています。

今回の被害は被災した住民だけでなく、それを支える地元の支援者側にも大きな打撃をあたえています。

災害ボランティアセンターを運営する社会福祉協議会のスタッフも、再び被災しているのです。もちろん行政の方も被災されたり、再び災害対応に追われています。

実は、地震の被害対応のピークが過ぎたからこそ、全国的な駐在支援が一旦解消されていました。
そこで起きた水害で、マンパワーが圧倒的に足りない。
人が減る中で、再び緊急期の対応を行っていて、現地で対応している支援者の方へのシワ寄せ、疲労が心配です。

そもそも甚大な被害だった地震災害の上に、水害の被害が重なっています。
市町村レベルではとても太刀打ちができません。
一度制度を使って復旧しようとしていた家が、再び泥水に使った場合、今後どういった救済制度や補助制度があるのか。
まだ国からの方針等が示されないままです。

今後ほんとに自分たちは再現できるのだろうか、この地域で再現してよいのだろうかと、絶望と不安が入り混じっていると感じます。

いかに希望を持てるか、この先の道を照らすお手伝いができるか、が一つのポイントになると思っています。

129月/24

8月レポート

私たちが預かっているニーズは大体、10〜20件くらいです。
毎日少しずつ対応していますが、全体のニーズボリュームは変わりません。
公費解体にともなって家の片付けが必要になったり、家財の搬出が必要になったりと、いろいろなケースで新たに相談があります。
今回の石川県での公費解体は、ブロック塀が対象外です。公費解体後に残されたブロック塀ニーズが増えるのかも、と見ています。

一方、台風による豪雨で被害が発生した山形県などへの対応に、能登半島で活動している支援団体が動いています。
地震から時間が経過して、ずっと張り付いて活動していた団体も少しずつ活動終了せざるを得ないケースも。
支援の手が全体的に少なくなる傾向にあります。

こうして支援団体が少なくなる分、広域支援ベースとしてできるだけカバーできればいいなと思っています。
しかし、屋根上の活動など技術的に難しい部分もあります。

雨漏りを防止の屋根へブルーシート貼り活動が続いていますが、奥能登で対応できる支援団体は限られています。
・コミサポひろしま(輪島市)
・Bダッシュ(輪島市)
・レスキューアシスト(珠洲市)
・チームふじさん(珠洲市)
・愛知人(珠洲市)
・リユースエイドテック(志賀町・輪島)
など。

雨漏りを防ぐために応急的に屋根へブルーシート張る。
春までは「緊急修理制度」で5万円までの枠組みの中で、業者に依頼することができました。
現在はその制度も受付終了のために利用できません。
はがれてしまった場合などにも適用されません(1回しか使えない)。
地震後に張ったものが強風ではがれたり、劣化でブルーシート自体がダメになったことでの雨漏り相談が各地で増えています。

劣化したブルーシートの張替えは、初めて張るときよりも手間がかかります。
紫外線でボロボロになった粉状のプラスチックが、靴につくと滑りやすくなり、作業の危険性が上がります。

2016年の熊本地震でも、その後数年間張替えニーズが発生、NPOなどが対応していました。
瓦修理の依頼を業者にお願いするものの、単位で待たなくてはいけないとの話も聞きます。
(水道の工事も同じく、かなり待たなくてはいけない)
緊急修理の枠組みを拡大したり、業者さんを全国から手配できる動きを広げるなど、国レベルでの大きな対応がなければ厳しいと感じます。

前述の支援団体減少に加えて、他の機関も人員削減が進みます。
災害ボランティアセンターの運営を補助するために、全国の社会福祉協議会から職員の応援派遣が続いていますが、そろそろ縮小の予定です。
もちろん、住民の方からニーズが寄せられるピークは過ぎましたが、まだニーズが0になったわけではありません。
ボランティアセンターが週末型になったとしても、平日の受付や準備もあります。
通常業務と、災害で増えた業務やタスク、災害ボランティアセンターの運営など、職員さんの負担は大きいままです。
災害対応事業などでの職員募集もありますが定員が埋まらず、どうしようもないマンパワー不足が各地で嘆かれています。

夏休みで、子連れの支援者も多く来てくれました。
奥能登の子どもたちもキャンプ企画などで支援ベースに遊びに来てくれる機会が多く、廃校の小学校がにぎやかな8月でした。
ラグビー日本代表選手や、三重大学の学生さんとのカヌー体験など、いろいろな方とのふれあいの場にもなりました。

まだまだ復旧が始まったばかりで、向き合うべき・議論すべき課題がたくさんあります。
しかし同時に県外の人には特に、能登の良いところにもふれてもらいたいと思います。
「怒りや悲しみだけでは活動は続けられない」
能登の自然や土地の良いところ、美味しいもの、素敵な人に出会って、ファンになって、長く能登に関わってもらいたいなと思っています。

もちろんたくさんの人と関わって遊ぶこと自体が楽しく、能登の子どもたちに必要な時間だとも思っています。

奥能登と金沢の中間地点の七尾市で企画を実施したことで、良いこともありました。
金沢方面に避難した子と、奥能登で生活を続ける子が数カ月ぶりに会えたようでした。奥能登に戻ってきた子どもたちも多いですが、避難生活で離れ離れになっている子たちもいます。
もちろん大人も。
自力で行き来できない人たちの疎外感をどう和らげていくのか、は今後も大きな課題です。

産業支援
被災した事業者さんのお手伝いや、買付紹介などをしています。
製造や収穫を担ってくれていた人が遠方に避難しているため、人手が足りないケースがあります。
被災した店舗の掃除や、新しく借りで営業する場所の片付けや引越しのお手伝いなど、できることはたくさんあるなぁと思っています。
地域が元気になっていくには、地元の商店や産業の復活も大きなポイントです。
災害ボランティアセンター的な活動からは外れていきますが、NPOだからこそお手伝いできる領域でもあります。
こうしたニーズは見えにくいものでもあるので、こちらから気をつけて探っていかないとと思っています。

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