7月28日の熊本県南部を震源とする地震で被害にあわれた皆さまに、心からお見舞い申し上げます。
地震発生の情報を受け、当日夜に先遣隊を派遣しました。
現地の被害状況の把握を進めています。
震度7だった宇城市・氷川町、震度6強の八代市の3市町が特に大きな被害を受けている印象です。
結では、この3市町にアウトリーチできる用に、NPO共同で使える拠点を設置。
在宅生活を続ける方の様子を確認して必要な物資を届けたり、道路啓開や貴重品取り出しをしたり、支援活動を始めています。
10年前の地震の時には**だったから、と以前の経験が役に立っている場面もあれば、トラウマになっている様子も見られます。
水道の復旧に時間がかかるかもしれず、避難生活もまだまだサポートが必要です。
夏真っ盛りの地震被害に、熱中症対策や関連死防止の対応が大きく必要になると見ています。
情報整理を進めつつ、必要な支援を適宜届けられるように、仲間の支援団体やいろいろな関係機関と連携しながら活動を進めます。
ぜひ、まだ復旧途中の能登と合わせて熊本地震の復旧活動にも関心を向けていただけると嬉しいです。
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6月レポート
能登

3年目のテーマは「一緒に学びつくる」
今までの活動を通して、能登の生きる力を学ぶ必要があると感じていました。
能登では今後復旧時期から復興時期へ少しずつ動いていく時期だと感じる場面がたくさんあります。
復旧に関わるような急ぎのニーズは0に近い状態は、マイナスから0に戻す時期がほとんど終わったとも捉えられます。
これからはようやく0に戻った地域に、一つずつ町に必要なものを積み重ねていく、復興をつくっていく時期だと考えます。

そんな中で、小屋作りを少しスタートしました。
町野町にある製材所さんから角材を買ってきて、4.5畳の小屋になるように組み立てています。
大工さんのご指導を受けながら、比較的簡単に作れないかと画策中。
公費解体して家を更地にしてしまった方も多くいます。現在再建についてそれぞれ考えている真っ最中ですが、公営住宅への入居など自宅を建てないという選択肢を選ぶ方もたくさん出てきそうです。
家は建てなくとも、自宅の敷地は残ります。今までやっていた畑を再開したいなとか、少し荷物置きにしたいなとか、何もしなくても落ち着く元自宅の景色の中で過ごしたいとか、土地への思いや活用したい気持ちはさまざまです。
泣く泣く自宅再建を諦める方の選択肢を増やすために、地元のチームと一緒に今後も試行錯誤する予定です。

町野町でも朝市が始まりました。地域の方たちが自主的に始めた取り組みのようです。
朝から元気に野菜を売ったり買ったりして、おしゃべりを楽しむ姿をとてもいいなぁと見ています。
こうして地震後の新しい取り組みや地域を楽しむ催しが続いたり増えていくと嬉しいです。
年末まで時々開催していた、夜のたまりば赤提灯企画も6月末に再始動。今回は地元の方のやりたいねという声からです。
いろんな場で人と人が顔を合わせて話して、町の今後を考える機会が増えているのかもしれません。

ネットワーク構築
6月は梅の季節。
久しぶりに有田の梅取りに行く時間を作りました。2023年以来の梅訪問です。
今回は、梅とりから和歌山市のチャリティーイベントに能登の物産を持って参加という流れになりました。
2011年からご縁のある和歌山県。いつもご支援くださる方のお話を改めてうかがったり、能登のことを伝えたり、南海トラフでは甚大な被害想定になっているからこそ、今のうちから少しずつ関係性を積み重ねておきたい場所です。

各地のふらっとな関係性づくりと並行して、パブリックなネットワーク作りで滋賀と沖縄に度々お邪魔しています。県域の中間支援組織立ち上げの打ち合わせを重ねつつ、各地の事例などを勉強しています。
いろいろ検討したり協議しながらみんなで感じているのは、圧倒的に県域のリソースが少ないこと。
国が令和10年までに、県域の災害時中間支援組織立ち上げ100%を目指している一方で、人もの金はどこでも共通した課題です。

災害時支援の窓口になる組織とは?
事務局をやるような人材はいるのか?
立ち上げ支援の助成枠組みはあるがどうやって存続させていくのか?
災害時に動けるような人は育成できるのか?
各地で組織化や運営に関わっているような方達からも漏れ聞こえてくる同じような悲鳴。

行政・社協・NPOの三者がただ手をつなぐだけでは超えられなさそうな課題がたくさんです。
しかし、課題山積でも進むべき道でもあります。
結としては、被災地のノウハウと、今まで現場で出会ったたくさんの支援仲間というリソースを使いながら、できる限り実働面でサポートを続けます。
2025年度活動報告書ができました
2025年度の活動報告書ができました。今回の表紙は、珠洲市大谷地区の鯉のぼりです。
報告書はこちらからご覧ください
郵送送付をご希望の方はこちら

能登半島地震から3年目を迎え、活動はようやく復旧・復興支援から、地域やまちづくりを共に考えるフェーズへと移ってきました。フェーズの変わり目まで地域に居続けられるのも、みなさまのご支援があってこそと、心より感謝申し上げます。
一方で、私たちが能登に居続けることが、地域の自立力を削ぐことになってはならないとも感じています。現地での活動に少しずつ区切りをつけながら、必要な伴走支援は続けつつ、「地域のために地域の人が動いていく」姿を目指していきます。
2026年度は、次の大きな災害への備えを本格的に進める年にしたいと考えています。南海トラフ巨大地震などを見据え、滋賀県米原市周辺への拠点設置を進めるとともに、県域の中間支援組織立ち上げに関わる予定です。
「災害があった時だけ備えるのではなく、日常の暮らしの中に備えを組み込む」——フェーズフリーの考え方を、もっとたくさんの人と共有できるような取り組みを進めていきます。
また、これまで任意団体として活動してきましたが、今後法人化を目指し、組織としての基盤を整える一年にいたします。
今年度も引き続き、活動へのご理解とご協力、そして被災地への変わらぬご関心を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
5月レポート
爽やかなお天気が続いた5月の能登。外からの支援と地元の人が少しずつ混ざりはじめる空気を感じた月でした。
能登の活動は現場ニーズが落ち着いたので、ときどき産業支援に切り替えています。

能登のために何かしたい、と思ってくれている方はまだ多いはずです。
一方で一日だけ来てすぐに手伝えることが減ってきました。
能登のために動きたい人たちをどう受け止めるのか。
小さな町一つ分に近い7,000人以上が流出した奥能登で、地域に関わる人をどう維持していくのか。

そんな考えの中にいた5月に、とてもストンと腑に落ちた話が
地域の善意にタダ乗りしてきたからお米が安かったということ。
ある農業法人の方いわく、
住民が激減した結果、地域の維持が追いつかない。
今までは地域総出で、田んぼの草刈りや水路掃除などをやっていた。
つまり、地域の農業は地域のボランタリーな動きで維持されていたということ。
田舎の伝統的な善意があったからこそ、お米が安く市場に出ていた。
都市部で気軽にお米が買えたのは、地方の善意にタダ乗りしていたから。
人口減少で現状維持は難しいのだから、全国でお米を食べる人たちが稲作環境の維持に参加するべきではないか。
食べる人も一緒に農業しようよ。
とのこと。
その通りだなぁと深く共感します。
これは能登以外の各地でも起こっているはず、もしくは今後起こってくるはずです。

人口が減ったとはいえ、もとの地域で住んでいる方も仮設で住んでいる方もたくさんいます。
住む場所(仮設か自宅か)によって地域が分断されがちでもあるので、元の地域単位での取り組みが今後ますます必要だと思っています。

生協さんの力をかりて、5月は2か所で地域のたこ焼きサロンができました。
当時避難所だった、体育館でたこ焼き企画を実施しました。
避難所だったときの記憶のままだった方もいらっしゃったはず。
生協さんに丁寧に告知に回ってもらい、当日は100人近い方が顔を出してくれました。

元気にしてたか?と久しぶりに声をかけあっていたり、新しい出会いの場になっていたり。
いろんな人が混ざり合う良い空間だったように思います。
7月以降も地域でのサロンの機会を作れるので、こうした場づくりのお手伝いが続けられたらと思っています。

ご支援でお預かりした軽トラを、珠洲の支援団体【ストランダー】にお届けしました。
今はまだ沖縄ナンバーですが、そのうち石川ナンバーに切り替わる予定です。
2019年に預かり、いろんな被災地を渡り歩いてきた一台です。今後も能登で愛用されることになるのは嬉しいことです。

奥能登の各地で支援団体が生まれて、それぞれの特色を出しながら活動が続いています。
発災後のにっちもさっちもいかない時のエネルギーで動いてきた団体たちが、少しずつ考えながら形を変えていく時期でもあると感じています。
災害で辛く悲しいことがたくさんあったけれど、だからこそいい巡り合わせもたくさんあった。
良かったことに数えられることが増えるように、地元の団体の応援をささやかに続けます。
町野でも有志の動きがあり、ニーズ対応を一緒に進めています。
技術面や資機材面をサポートしながら、無理しない体制がつくれるといいなと見守っています。

研修や会議で、県外にいる時間も少しずつ長くなってきています。
滋賀県の災害時中間支援組織を考える場にお邪魔したり、京都のイベントにお声かけいただいたりしました。
前からずっと行きたかった、つくばの研修センターにも訪問。
災害時に支援できる人を増やすための、高度なトレーニング環境が進化しているようです。
近畿でも災害対応を見据えた研修などができるように、夏からはもう少し近畿にいる時間を増やしつつ、防災や平時からの取り組みを強化するための体制づくりを進める予定です。
4月レポート

まちの山菜クラブ
と勝手に名付けて、小学生も大人もみんなで山に山菜採りに出かけました。大量のタケノコや、わらび、フキ、うど…季節の恵みをいただいています。
たまりば前に設置したカマドに火を入れて、光熱費を気にせず下処理をしています。
米ぬかや灰で下処理した山菜は、いろんな方におすそ分けしています。
こちらからおすそ分けする以上にいただいたりもして、町野の春を感じます。

田んぼの準備や畑をしている人の姿も各地で見るようになりました。
地震で止まっていた時間が、少しずつ動いている気がします。
地震や水害でのお手伝いニーズはほとんど0になりました。
ポツポツお願いや問い合わせもあったりしますが、4月からは週末に活動日を絞っても十分対応が追いついています。
依頼内容では、畑に関する相談が多くなってきました。
自宅解体後の敷地の耕作などは、地震や水害とは直接関わりがないものでもありますが、今後の生活をつくっていく上で必要なことと判断してお手伝いをしています。

2016年の熊本地震から10年が経過しました。
最初の震度7の情報を受けて熊本入りした代表は、当時本震を震源地の益城町で経験しました。
あの時から10年とは本当にあっという間な気がします。
熊本の方たちからお誘いいただいたりもしたので、少しだけ熊本へお邪魔してきました。
時々熊本にも赴いているものの、能登半島地震後はかなり足が遠のいてしまっていました。
久しぶりに熊本で時間を過ごして感じたのは、定期的な訪問は絶対必要ということです。

2016年当時、「危ないから住むな」と言われた地区。しかしその地域へ仕事に通う方もいるため、コンテナの運搬などを手伝いました。
10年後の地区には、新築された家があり、生活がありました。あの時は全く想像が及ばなかった景色に、とても嬉しくなりました。
当時関わって今も通うからこそ知れること。
能登半島のいろいろな地域でも、想像もしない形で復旧復興していくのかもしれません。通い続けることの大切さを感じました。
また、能登へ届けてほしいと八代からみかんをたくさん預かりました。
2012年の阿蘇豪雨の時から応援してくれる方のご紹介でした。
ずっとご縁を続けてくれてありがたい限りです。

毎年恒例行事になりつつある、沖縄研修。
今年も無事に開催できました。
例年より子どもたちが多めのメンバーで、沖縄戦のことを学び、バナナを収穫して砂糖と塩をつくりました。
定期的に平和ガイドさんをお願いしている関係で、ガマ整備の相談がやってきました。
地元沖縄のために何かできないかと考えて始めた研修が、少しずつ次につながりそうで嬉しく思っています。

被災地のことも、沖縄のことも、知ってから次のアクションにつなげていくことが大事だと思っています。具体的なアクションとして、平和学習のフィールド整備など、被災地で培ってきた技術を使える流れができればいいなと思っています。
3月レポート

少しずつあたたかくなってきて、たまりばのストーブの稼働時間も減ってきました。
でも、煙が上がっていると顔を出してくれる方がいるので、目印って大切だなぁと感じます。
春の訪れで、山や畑の動きがあります。山菜の差し入れがあったり、畑の準備が始まったり。
みんなウキウキしている様子です。

春休みの大学生や新入社員の研修を兼ねた活動の受け入れもありました。
スーパーでパックに入った野菜や魚を見ることが普通になっている若者たちには、能登の自然と一緒の暮らしはなんでも新鮮なようです。
地震や水害からの直接の支援ではなくなりますが、一緒にヨモギを取って団子を作ったり、キノコの栽培準備をしたり、新鮮な海藻を食べたり。

外から来た人だからこそ気づける能登の良さがたくさんあります。
「なにもない」がある能登の魅力を、どう伝えていけばいいのか、今後の課題だと思っています。

みんなで作ったたこ焼きやチラシを持って訪問する機会もありました。
個別にお話を聞いていると、まだ廃棄物を捨てていなかったり、ちょっとしたサポートが必要だったりするケースもあります。
福祉ニーズの割合も高くなってきました。今後は、関係機関との連携がもっと重要になっていきそうです。

私たちが拠点を置いている輪島市町野町で、学校の閉校式がありました。
地震前、輪島市内に12あった市立小中学校は、2026年度から4校に集約されました。
地震後1年で児童生徒数が7割程度に減少した影響です。かつて町野町だけで小学校が5つ以上あり、映画館やパチンコ屋があってにぎわっていた時代と比べると、時の流れを痛感します。
地震で拍車がかかった地域の担い手減少をどうするのか、これからが問われています。


沖縄と滋賀でのネットワークづくりに参加しています。
それぞれ会議やフォーラムが実施されたので参加してきました。
4月から新年度、少しずつ復旧支援(能登)から平時からの備え(沖縄・滋賀)の活動を増やしていきたいなと考えています。
2019年以降、長年お世話になっている長野でも講演活動でお邪魔してきました。
当時被災した地域に新しく建った防災センターで、あの時最前線でがんばっておられた方たちとお話できたのは良い経験でした。


15年の活動記録
2011 → 2025 | Activity Record
災害NGO結
15年の活動記録
東日本大震災をきっかけに2011年に活動を開始。以来、全国40市町村の被災地で活動してきた記録です。





















































































































































