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0710月/24

9月レポート(能登豪雨)

9月の豪雨で犠牲になられた方に心よりお悔やみ申し上げます。再び被害にあわれたみなさんが、一刻も早く安心して生活できるように、できるだけのことをしていきたいと思っています。

地震のニーズが落ち着いてきたけど、ゼロには当分ならない。でも全国的な支援も縮小していくので、どうやって能登の各地を支えるかを考えていました。
水害に見舞われるまでは。

常々どこに災害が起こってもおかしくないと思っている私たちでも、おどろきショックを受けました。

いつも活動で見慣れた景色が濁流にのまれた
活動でお世話になった方が亡くなったというニュース
支援に入ったお家が泥だらけになったこと
仮設住宅が浸水する光景
心が折れたと口々に話す方たち

一軒ごとの浸水高はそこまで高くない場合もあります。
しかし、ようやく修繕が終わった家だったりもするのです。
復旧を進めていた矢先、今までの苦労が水の泡になって濁流にのまれてしまいました。

新しく入れたエコキュートが一回も使わないのに土砂でやられた
屋根の修理が終わった翌日に床上浸水になった
浄化槽の入替えが済んで仮設住宅を退去しようとしていた
地震で母屋に住めないため納屋で生活していて、ようやく仮設入居ができて一カ月もたたないうちに仮設が床上浸水した
地震後新築した家が被害にあった
中古でどうにか買った車が水没した
など

倒壊した家屋から、どうにか大切なものを探し出し置いていた方。その倉庫が浸水したという話もよく聞きます。
どう声をかけたらいいのか、迷うような状況に何度も出会います。

仮設住宅が床上浸水するのは、今までで初めてのことではないでしょうか。
初めてのことで、いろんな混乱や想定していなかった課題が生まれています。

例えば、支援物資が仮設住宅の集会所などに運び込まれ支援スポットになりました。
仮設住宅で停電や断水したためでした。
同じく仮設住宅の近くの地域も停電や断水があって、近隣住民も仮設住宅の集会所へ物資を取りに行ったところ、この物資は仮設住民の物、と追い返されてしまったとのこと。
ふだんの緊急期なら、避難所が物資支援などの拠点になるのですが、仮設住宅があることで住民の方への支援拠点が分かりにくくなっているのだと感じました。

今回の水害で、再び孤立した集落もたくさんあります。
仮設住宅含めて孤立してしまった所もあります。
今回の孤立が解消されても、また集落へのアクセスが絶たれてしまう可能性も。
地震と水害で集落への道が全て断たれ、1週間たっても車で行けない地域があります。
歩いたら行ける場所へは、何人かでチームを作って歩いて物資を届けたり、歩いて土砂撤去のお手伝いに行ったりしました。
どうにか避難しようとしていた方と出くわして、おんぶして山を降りてきたこともありました。

家屋だけでなく、地震から復旧した商店や事業所なども被災しています。
そうした地域を支える生活インフラへの支援も、とても重要です。
なりわいへの支援が見出せないと、人々はそこで生きていけません。
生計を立てられるイメージがなければ、絶望して最悪の事態を選んでしまうのではないかと心配しています。

町野町では、地域唯一のスーパーが被災してしまい、生活用品や食料品を買える場所がなくなってしまいました。もともと買物困難な方もいたため、移動販売車が仮設住宅などを巡っています。しかしそれも十分ではありません。地域のスーパーが営業できなくなったことで、水道や電気が復旧したとしても、食事や生活に困る方が一定数いらっしゃいます。

高齢化、移動困難、山間部の集落維持、人口減少、それぞれもともとの課題です。

復旧復興とともに、地域やまちをどうしていくのか、どう支援を入れていくのか、誰がどう対応していくのかは早めに議論される必要があると感じています。

今回の被害は被災した住民だけでなく、それを支える地元の支援者側にも大きな打撃をあたえています。

災害ボランティアセンターを運営する社会福祉協議会のスタッフも、再び被災しているのです。もちろん行政の方も被災されたり、再び災害対応に追われています。

実は、地震の被害対応のピークが過ぎたからこそ、全国的な駐在支援が一旦解消されていました。
そこで起きた水害で、マンパワーが圧倒的に足りない。
人が減る中で、再び緊急期の対応を行っていて、現地で対応している支援者の方へのシワ寄せ、疲労が心配です。

そもそも甚大な被害だった地震災害の上に、水害の被害が重なっています。
市町村レベルではとても太刀打ちができません。
一度制度を使って復旧しようとしていた家が、再び泥水に使った場合、今後どういった救済制度や補助制度があるのか。
まだ国からの方針等が示されないままです。

今後ほんとに自分たちは再現できるのだろうか、この地域で再現してよいのだろうかと、絶望と不安が入り混じっていると感じます。

いかに希望を持てるか、この先の道を照らすお手伝いができるか、が一つのポイントになると思っています。

129月/24

8月レポート

私たちが預かっているニーズは大体、10〜20件くらいです。
毎日少しずつ対応していますが、全体のニーズボリュームは変わりません。
公費解体にともなって家の片付けが必要になったり、家財の搬出が必要になったりと、いろいろなケースで新たに相談があります。
今回の石川県での公費解体は、ブロック塀が対象外です。公費解体後に残されたブロック塀ニーズが増えるのかも、と見ています。

一方、台風による豪雨で被害が発生した山形県などへの対応に、能登半島で活動している支援団体が動いています。
地震から時間が経過して、ずっと張り付いて活動していた団体も少しずつ活動終了せざるを得ないケースも。
支援の手が全体的に少なくなる傾向にあります。

こうして支援団体が少なくなる分、広域支援ベースとしてできるだけカバーできればいいなと思っています。
しかし、屋根上の活動など技術的に難しい部分もあります。

雨漏りを防止の屋根へブルーシート貼り活動が続いていますが、奥能登で対応できる支援団体は限られています。
・コミサポひろしま(輪島市)
・Bダッシュ(輪島市)
・レスキューアシスト(珠洲市)
・チームふじさん(珠洲市)
・愛知人(珠洲市)
・リユースエイドテック(志賀町・輪島)
など。

雨漏りを防ぐために応急的に屋根へブルーシート張る。
春までは「緊急修理制度」で5万円までの枠組みの中で、業者に依頼することができました。
現在はその制度も受付終了のために利用できません。
はがれてしまった場合などにも適用されません(1回しか使えない)。
地震後に張ったものが強風ではがれたり、劣化でブルーシート自体がダメになったことでの雨漏り相談が各地で増えています。

劣化したブルーシートの張替えは、初めて張るときよりも手間がかかります。
紫外線でボロボロになった粉状のプラスチックが、靴につくと滑りやすくなり、作業の危険性が上がります。

2016年の熊本地震でも、その後数年間張替えニーズが発生、NPOなどが対応していました。
瓦修理の依頼を業者にお願いするものの、単位で待たなくてはいけないとの話も聞きます。
(水道の工事も同じく、かなり待たなくてはいけない)
緊急修理の枠組みを拡大したり、業者さんを全国から手配できる動きを広げるなど、国レベルでの大きな対応がなければ厳しいと感じます。

前述の支援団体減少に加えて、他の機関も人員削減が進みます。
災害ボランティアセンターの運営を補助するために、全国の社会福祉協議会から職員の応援派遣が続いていますが、そろそろ縮小の予定です。
もちろん、住民の方からニーズが寄せられるピークは過ぎましたが、まだニーズが0になったわけではありません。
ボランティアセンターが週末型になったとしても、平日の受付や準備もあります。
通常業務と、災害で増えた業務やタスク、災害ボランティアセンターの運営など、職員さんの負担は大きいままです。
災害対応事業などでの職員募集もありますが定員が埋まらず、どうしようもないマンパワー不足が各地で嘆かれています。

夏休みで、子連れの支援者も多く来てくれました。
奥能登の子どもたちもキャンプ企画などで支援ベースに遊びに来てくれる機会が多く、廃校の小学校がにぎやかな8月でした。
ラグビー日本代表選手や、三重大学の学生さんとのカヌー体験など、いろいろな方とのふれあいの場にもなりました。

まだまだ復旧が始まったばかりで、向き合うべき・議論すべき課題がたくさんあります。
しかし同時に県外の人には特に、能登の良いところにもふれてもらいたいと思います。
「怒りや悲しみだけでは活動は続けられない」
能登の自然や土地の良いところ、美味しいもの、素敵な人に出会って、ファンになって、長く能登に関わってもらいたいなと思っています。

もちろんたくさんの人と関わって遊ぶこと自体が楽しく、能登の子どもたちに必要な時間だとも思っています。

奥能登と金沢の中間地点の七尾市で企画を実施したことで、良いこともありました。
金沢方面に避難した子と、奥能登で生活を続ける子が数カ月ぶりに会えたようでした。奥能登に戻ってきた子どもたちも多いですが、避難生活で離れ離れになっている子たちもいます。
もちろん大人も。
自力で行き来できない人たちの疎外感をどう和らげていくのか、は今後も大きな課題です。

産業支援
被災した事業者さんのお手伝いや、買付紹介などをしています。
製造や収穫を担ってくれていた人が遠方に避難しているため、人手が足りないケースがあります。
被災した店舗の掃除や、新しく借りで営業する場所の片付けや引越しのお手伝いなど、できることはたくさんあるなぁと思っています。
地域が元気になっていくには、地元の商店や産業の復活も大きなポイントです。
災害ボランティアセンター的な活動からは外れていきますが、NPOだからこそお手伝いできる領域でもあります。
こうしたニーズは見えにくいものでもあるので、こちらから気をつけて探っていかないとと思っています。

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079月/24

2023年度報告書ができました

2023年度報告書ができました。
2023年度もたくさんのご支援をありがとうございます。

能登半島地震の甚大な被害対応のために、普段よりもたくさんの方に手厚く支えていただいていると感じています。
ありがとうございます。
結だけでは太刀打ちできない被害に、たくさんの支援仲間と広域支援ベースとして奥能登を広くサポートしています。その内容については、広域支援ベース活動報告を御覧ください。

能登半島は過去にない複雑な被害、そこからの復興までの道のりは、東日本大震災に匹敵する時間がかかると感じています。

今後も、結の活動に限らず能登半島など各地の被災地へ注目いただき、ぜひいつか能登へ観光においでください。

報告書送付をご希望の方は、こちらから、ご住所などをお知らせください。

この先も、結へのご支援・ご協力をお願いいたします。

088月/24

7月レポート

「扇風機の風が来て、冷たいビールを飲んだら涙がでてきた」

と話すおじちゃん

金沢のみなし仮設に入居していましたが、地域にできた建設型仮設住宅への移動を希望されています。
しかし、簡単に入居は決まらず順番待ち。
仕事が始まってしまったので、解体を決めた家で生活を始めています。

最初に解体を決めた時に、電気は切ってしまったそう。
再度通電するのが難しいらしく、電気と水が使えないままの生活です。
そんな生活状況が判明したので、一緒に活動する仲間がポータブル電源やひんやりマットなどを持っていってくれました。

地震直後の避難環境が整わなかったことで、冬の間にかなりたくさんの方が遠方に避難されました。
ライフラインが確保できる生活をと、とりあえずと出てきた金沢などに生活拠点を移された方も多くいらっしゃいます。
そうして仮住まいの場所をみなし仮設(アパートなど賃貸物件を仮設住宅とみなす制度)をとして生活を続けられていたケースがたくさんあるのだと思います。

このおじちゃんも、書類上はみなし仮設を利用しているものの、在宅に戻っているケースでした。

書類上と実際の居場所が違うケースは、特に今回多いかもしれません。
奥能登各地で同じケースに出会っています。
理由はさまざま。
都市部での生活に適応できなかった、仕事が再開したから地域に戻る必要があった、など。

みなし仮設→建設型仮設への住み替え申請は、今までの被災地史上最も多発しているのではないでしょうか。

書類上は、みなし仮設制度を利用しているので、公的な見守りの優先度は下がります。
しかし、実際は水も電気も来ていない家で生活されていたりする。
つながりが深く、地域の方の動向をお互いに把握しあっている地域でも、山間部などにひっそり戻ってきた方を随時把握するのは困難です。
行政側がそれを把握するのもかなり至難の業。

在宅や仮設、みなし、それぞれの生活状況の定期的な把握が大きな課題です。
しかしこの課題をクリアできるような解決策は今のところありません。

被災された方の生活の見守り事業は、各地でスタートしています。
でも、広い能登半島中をつぶさに見守るだけの人員は、どこも確保できていません。

そもそも、どの分野でも人が足りないのです。

公費解体の進捗率は、市町村でばらつきがあるもののまだ数%です。
結構解体が進んできたな、と感じる地域もありますが、まだ一部です。
各自治体は、公費解体に対応してくれる業者さんを増やそうと対応を進めています。
屋根の修理も、水道復旧も、お墓の修繕も、高齢者施設の運営も、
専門職や職人はもちろん、地元の工場のアルバイトも、シルバー人材センターの担い手も、どこも人手不足と聞きます。

とある漁港、水揚げ高は地震前の半分だそうです。
魚はいるのですが、出荷の準備に手が足りず、結果的に半分しか水揚げできない。
別の加工場では、手選別するお母さんたちのうち半分は地震で避難したり、犠牲になったりでいらっしゃらなくなったそう。
手選別ができないので、機械の導入を検討しているとのこと。

そもそも、奥能登での産業復活の兆しが弱い気もします。
過去の被災地では、復旧バブルとして近くの繁華街がにぎわって、復旧に関わる業者からの活性化も起きました。
奥能登に宿泊施設と飲屋街が少ないこともあってか、大きな循環は生まれていないように感じます。
半島全域が壊滅的な被害を受けたことや、各地に共通する特産物が少ないことで、「買って応援」の流れも起きにくいのかもしれません。

能登地方の旅行支援なども検討されているようですが、
地域の産業にちゃんと巡っていくタイミングや方法を、しっかり検討した上で実施してもらいたいなぁと思います。
たくさん来てもらってもまだ復旧していませんとか、人手足りなくて対応できませんとかにならないように。
私たち外部の支援も、うまく産業のサポートができたらなと検討中です。

多くの方が仮設住宅での生活を始めています。
しかし、仮設に入った方全員の生活が安定した、というわけでもありません。

建設型の仮設住宅、基本的に水回りにお部屋がついているタイプです。
1部屋〜3部屋までのパターンがあります。
一人暮らしの方は、もちろんワンルーム(1K)
二人暮らし世帯も、このワンルームタイプの場合があります。ふた部屋タイプにあたればラッキー。

5人世帯で3部屋だと生活できないから、と両親と子どもたちを仮設に住まわせて、自分は在宅でどうにか生活されているケースもあります。
どのタイプにしても、かなり狭くて収納がないのが仮設のスタンダードになっています。
同じ家族といえど、プライベート空間がとれなくなっています。

親子2人で一部屋なので、親が部屋に寝るので車中泊をしている息子さんがいらっしゃったり
娘が夜勤から帰ってきて同じ部屋にいたら寝られなくてかわいそうだから、と外を歩きに出るお母さんがいらっしゃるとの話を聞きました。
介護虐待のようなことや、気を使いあってお互いが苦しいようなことが起きています。
今後も狭いことで起きる家族内の課題が出てきそうです。DVなども増えるかもしれない。

水や電気が整わない自宅か、狭い仮設なのか。
どっちが良いと思うのか、それぞれですが
少なくとも、仮設住宅の入居が済んだからもうOKだよね、とは言えないなと感じます。

仮設住宅など仮の生活だからこそ、進んでいく課題もあります。
今までの避難生活によって、体の機能が大幅に落ちてしまった方も多くいらっしゃいます。

今まで集会所での集まりに歩いて通えていたけど、地震後の生活で体力が落ちてしまって、同じ場所なのに帰り道がしんどくなったという話も。
災害後に認知症になったり悪化するという事例はたくさんあります。
今回の能登半島は高齢の方も多いので、この課題は今後大きくなりそうです。

残念ながら、関連死についての課題も大きくなっていくと感じます。
県発表の犠牲者数が増えてもいるし、現地でそうした話も耳にします。

生活再建のめどが立たないこと、今までできたことができなっていくこと、いつもあったものがなくなっていくこと、収入のめどがたたないこと、生活再建への希望が持てないこと、

変わらず続く息苦しい気配が、関連死を増やすことがないように、できることを続けていきたいと思っています。

「能登を応援したくても物理的に来られない人も多い。それなら能登持って行こう」

ということで6月の後半くらいから、少しずつ能登から各地へ出張しています。
全国からご支援いただいた方への報告会と、能登物産販売会をいっしょにやっています。
半年たった能登の課題や現状をお伝えしつつ、能登の良いものをお土産に持って帰ってもらいたいなという企画です。

もともとお声かけいただいていた講演会などとも組み合わせて、九州〜関西方面にお邪魔しました。
今後も各地で予定を合わせて実施できたらなと思っています。
*能登物産の販売は「Social Shop半人前」名義

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077月/24

6月レポート

久しぶりにある地域へ足を運ぶと、「あれ、ここってこんな景色だっけ」と思ったりしました。
本当に少しずつ少しずつ、解体が進んでいます。
更地になって、景色に違和感がでてくる場所もありますが、全体的な町並みはまだまだ半年そのままです。

まだ、水が通らないところがあります。
行政の発表によると、珠洲市1,076戸、輪島市445戸が早期復旧困難地域だそう。

特に珠洲市は家屋の倒壊が多く、水道復旧の障害になっています。
倒壊家屋によって止水ができず、配管の通水試験なども困難に。公
費解体が進まないと、水道復旧も進まないという側面があるようです。

下水道の復旧ができていなくて、上水が復旧しない場所もあったり、復旧困難な原因はたくさん。
仮に本管が復旧したとしても、個人の敷地内の配管が直らないと家で水は使えません。
珠洲などでまだ水道復旧のめどが立たないのは、こうした原因が重なっているからです。

まだまだ、普通の生活を手に入れるには時間がかかるのだと感じます。

山間の地域では、電気復旧がまだの地域も。
多くの方は早期に2次避難などをされています。
すでに仮設住宅に入居された方も多いのですが、住んでいる方もいらっしゃいます。
木々が多く、海風もあってまだ涼しい時間も多いようですが、これからの熱中症が心配です。

仮設住宅から、昼間は自宅へ戻ったり自分の畑作業をしに帰ってくる、【日中在宅】も多く存在するようすです。
それぞれが一番過ごしやすいスタイルに、どうにか生活を工夫されています。
生活状況も多様化していると感じます。

やっぱりあの家(仮設住宅)には住めないよ、と話すかたもめずらしくはありません。

「隣のトイレの音も聞こえる」
「朝はケンカから始まる」
「2人で1部屋で寝るのに布団が1組しか敷けない、だから布団の横に座布団を3つ並べて二人で寝ている」
仮設住宅の、限られたスペースならではの課題も聞こえます。
今まで住んでいた能登の家は、大きな敷地に大きな家。
家族間でも、プライベートスペースが確保できていました。
仮設住宅ではそうはいきません。

 

今までにない生活スタイルによって、いろいろな影響があらわれています。
DVが増える事例も過去に聞きます。
収納を工夫する、別の居場所や吐き出せる場所を作るなど、継続的なサポートが必要です。

でも、そもそも仮設にまだ入れない方もいらっしゃいます。
珠洲も輪島も、まちなかでは各地で仮設住宅が建設中です。
不便な中で生活を続けていて、仮設入居を待っている方もいらっしゃる。

一方で、仮設団地の中には空き家もまだ目につきます。
どんな基準や順番で入居が決まっていくのか分かりませんが、広範囲に避難者が存在することで、仮設住宅へのマッチングも難しい印象です。

最近になって、少しずつ活動エリアが広がっています。
広域支援ベースとして抱えるニーズもまだありますし、順次新規ニーズもありますが、全体件数は少しずつ減らせています。
そこで、輪島市三井や、珠洲市のささえあいセンターサポートなど、幅を少し広げる形で活動を始めました。輪島市で活動を続けるコミサポひろしまへも少しずつ派遣しています。
輪島市からアクセスしやすい珠洲市にも。


現場のニーズ対応、サロンのお手伝いなどを交えながら、必要なサポートを。
活動人数や中心メンバーも入れ替わるので、全体的な負担も考えながら、7月以降も活動メニューを調整します。
無理なく各地のサポートをすることで、できるだけ必要な時期に長くお手伝いで居られるようにしたいなと思っています。

 

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036月/24

5月レポート

各地で仮設住宅の建設が進み、入居も進んでいます。
避難所も閉鎖されたり、閉鎖のめどがたったりしてきました。

仮設住宅へ入居される方が増えてはいるのですが、仮設団地にお邪魔すると、まだ空室らしき部屋も目につきます。
仮設住宅にあたったとしても、引っ越しまでの準備に時間がかかるのです。
1月に申し込んだが二次避難先で賃貸を契約した、
申込みから時から状況が変わってしまた、という話も。
自宅へのライフラインや道路状況が整うタイミングによって、仮設入居を迷っている方もいらっしゃいました。

5月ごろから、仮設住宅の戸別訪問や、サロンを実施しています。
仮設団地によって、少しずつ空気が違ったりもしますが
各団地それぞれ、高齢者の方が多い印象です。
手押し車や杖を使う方も多く見られます。
立地が街中から離れているので、自力では買い物や病院に行けない方も。
「そのうち周回バスがあるとは聞いているがまだ運行されていないので、病院は誰かに連れて行ってもらわないと」

高齢社会と仮設住宅によって、移動困難が大きな課題にもなりそうです。
とある仮設住宅。高台に立地して、そこまでの坂道がかなり急なのです。そのため「仮設団地の敷地から一人では外に出られない」と話す方もいらっしゃいました。

近いといえど住み慣れた場所を離れて暮らす生活です。
「この年になってこじきになるとは思わなかった」
とこぼすおじいさんもいたとか。
今まで避難所などで上げ膳据え膳、仮設住宅で誰かに用意してもらった家に住む。日中は(多分)やることがほとんどない。
そうなると、自分の存在意義がないと感じてもおかしくないかもしれません。

できるだけ仮の生活で心がつらくならないように。
みんなでお話しする機会や場所、なにかやることや生きがいづくりのお手伝いができればなと思います。

どこも畑いじりをして生活していた方が多いのです。廃材などでプランターを作って、いろんなところで夏野菜を育ててもらえないかなと思っています。
できるだけ今までのような生活に近づけるように。

仮設住宅へ目線が向かいがちですが、避難所の避難者数も石川県全体でまだ3000人以上と言われています。
納屋で生活するような方たちはこの数に含まれていません。

心身の健康が今後も維持できるのか、
助かったものを救うために、今後も仮設住宅や在宅生活など生活形態を問わず見守りが必要だと思っています。

ゴールデンウイーク期間(4月27日〜5月6日)の広域支援ベースの活動参加者は、640名。
GWをいかして、たくさんの方が活動に参加してくれました。
GWだからこそ、家に戻って片付けが進められる住民さんもいらっしゃいました。

たくさんの人が来てくれそうなタイミングだからこそ、ニーズが調整できないという理由で活動参加をお断りしたくなかった

この能登半島には、10年後の復興期まで関わり続ける人が必要です。つまり、関係人口の確保が一つの課題です。

能登半島には、海も山も、美しいところはたくさん。
昔からある能登の良いところにも、地震をきっかけにたくさんの人が気づけばいいなぁと願います。
将来的には、復旧支援がきっかけなどで移住する人や通い続ける人も生まれるのではと見ています。

GWなどの長期休みは、関係人口を作っていくためには重要なタイミングでした。
そんな理由もあり、GWは今後の別のプロジェクトに広がる期待も込めて、ビーチクリーンも実施。

体力や技術がさまざまでも、たくさんの人が参加できる活動です。
津波でいろいろな物が押し流されてたまってしまったところや、隆起によって海にもともとあったものが見えてしまった浜など、まだ各地にお掃除が必要そうな場所はチラホラ見られます。
集めた海洋ごみを次に活かせないか?を含めて活動を考えています。

5月は、なんとなく企業さんの参加も増えてきたなぁと感じる一ヶ月でした。もちろん、災害当初からいろいろな支援でサポートしてくれる企業さんもあります。
今まで関わりなかったような企業さんからも、被災地で役立てないか、と少しご相談いただくようになってきました。

能登半島の大きな被害には、いろいろな機関の関わりが必要です。
企業として物資や資金提供で関わってもらうのはもちろん、社員のボランティア派遣や、派遣にからめて能登半島で経済を回してもらったり、期待したい役割はたくさんあります。

こうした人たちが、能登に長く関われるように、引き続き能登や能登の支援に関わるモデルケースづくりをしたいなぁと思っています。

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125月/24

4月レポート

能登半島も、桜の開花と同時に本格的に暖かくなってきました。
夜の冷え込みが落ち着き、日中も気温があがるので、生活しやすくなってきた感じがあります。
電気水道の復旧に加えて、この暖かさがポイントになって、地元へ戻ってきている方も増えているようです。

在宅避難(母屋)に加えて、在宅避難(母屋以外)のケースに出会うことが増えました。

少し前から、地元に戻ってきて(母屋は住めないから)納屋で生活を始めた方、
金沢の仮の暮らしから定期的に戻ってきて、敷地内でキャンプしている方など
それぞれ事情はさまざですが、避難生活や仮の生活が多様化しています。

仮設住宅へも少しずつ入居が始まっている一方で、まだ避難所暮らしをされている方も少なくありません。

しかし、仮設住宅完成のニュースで、世の中の関心は仮設住宅に移ってしまうとも感じます。

4月末になって、ようやく道が通れるようになった集落もあります。
避難所、在宅、仮設住宅の3種類の暮らしが同時に存在しています。それぞれに課題があるので、今後も生活が安定していくように必要なサポートをしていきます。

4月の新年度で、どこの支援団体でもボランティア参加が少なくなる傾向があるようでした。参加が少ないなかでも、できる範囲で一つずつ案件に対応しています。

しかし、時間の経過とともに家の傾きが進んでいる案件も。
一度目貴重品取り出しをした家でも、再度取り出しの依頼では安全管理など含めて慎重な対応が必要なケースもでてきています。
安全第一な活動が大前提なので、今後は技術的に対応が難しいケースも増えるかもしれません。

熊本地震では、解体業者さんができるだけ公費解体時に必要な家財の取り出しに協力してくれた事例があります。NPOなどが対応できないものは、こうした事例と同じように対応されるはずです。

1件ずつの案件の難易度が上がったり、支援者が少なくなるなどで対応が難しくなる一方で、ニーズ自体は少しずつ増えている印象です。

GWなどで地域に戻って来る方がいたり、少しずつ地域に戻ってきている方がいるのが関係しているかなと見ています。
ニーズが上がるピークが弱く、ポロポロポツポツ、長期間に渡りニーズが出てくるかたちかもしれません。

発災直後から、被災者も支援者も誰もが出入りしづらかったことが、ここに影響しています。
コロナ禍1年目のように、緊急の対応、仮の暮らしの対応、復興への取り組みなどフェーズがまぜこぜになって進む予感がしています。

 

再生マルシェ
として、町野町・門前町・能登町でイベントを実施しました。
1月以降、地震によって変化したものばかり
家が倒壊した方は、手放さねばいけないものばかり
水が使えないので紙皿やレトルト食品生活
命をつなぐために、使い捨てる生活が続いていました。

洋服の修理ができる車がある、との話から始まった企画
洋服の再生だけでなく、倒壊した家屋の柱などでお箸や表札づくりもできるように企画しました。

全部は難しくても、先祖代々がつないできた家や家財を手元に残して置けるように。
こうした小さな再生を通して、この先地域で生活していく良いイメージを再び持ってほしいなとの願いをこめました。

イベントというきっかけで、遠方に避難している方が戻って来る、再開も狙いの一つ。
いろいろな外の力を借りながら、地域が前向きに再生していけば。

冬が終わって、春夏秋のお祭りのシーズンです。
能登半島では、これから各地で盛んにお祭りが行われるそうです。地域の神社での神事なども、はじまったと聞いています。

地域に残っている人も地域を離れている人も、一つになって、地域が集まる機会になればいいなと思います。

044月/24

3月レポート

少しずつあたたかくなってきた能登半島。桜の見頃は4月半ばのようです。

道路は走りやすくなりましたが、まだまだ町並みは変わらないところも多く、前進感を感じにくいなかでもあります。まだライフラインが整わない場所もあります。

見通しがつきにくい一方で、少しずつ仮設住宅が建設されて入居が進んでいます。

しかし今入居できるのは一握りの方です。仮設住宅に申し込んだけど募集から外れてしまった方もいらっしゃいます。各地で随時建設が進んでいますが、総建設数は希望数よりも少ない見込みです。

同じ避難所から、仮設に入れる人、入れない人など少しずつ生活状況に差が生まれていっています。小さな不満が少しずつ積もっていって、ストレスになっている様子がうかがえます。

仮設住宅に入れたものの、物理的な狭さと精神的な狭さが課題です。

被災地あるあるでもあります。

先祖代々継いできた家は、家自体が何部屋もあって広々。敷地も広く、蔵が何棟かあるところも珍しくありません。お隣さんはいるけど、物理的な距離がある生活でした。

それが、プレハブで隣同士の並び、一軒ずつもとても狭い。

3人世帯などだと、2部屋1K水回りというとってもシンプルな作りで、収納も少ない。狭いキッチンで、冷蔵庫や洗濯機も入れるにはサイズが限られそうな寸法の作りだったりします。(建設するメーカーもさまざまなのでいろいろなタイプの仮設住宅があります)

申し込んでいたけれど、中の様子を見てキャンセルした人が何人もいる、という話も少し聞きました。

隣の家の物音が聞こえることなんてなかったし、しゃべり声の大きさを気にしたことない生活だった方も多くいらっしゃいます。
周りが同じ地域の方だからこその安心感と居づらさもあると感じています。

仮設住宅の環境改善や、コミュニティ支援としてまた各地それぞれ支援団体が活動することになるのではと思っています。

仮設住宅で仮の生活を安定させる一方、今までの家をどうするのか。

公費解体の受付が各地で始まり、申し込んでいる方も多くいらっしゃいます。
(今回の能登半島地震では、半壊以上の被害認定がれば)住民側の負担なしで公費で自宅解体ができる制度があります。

1階が潰れてしまったような、素人目にも全壊と分かるような被害がある家でも、住民さんにとっては、大事な家。
築100年以上、先祖代々継いできた家もめずらしくありません。

いくら地震で被害をうけたからといって、自分の代で潰していいのか。

そんな風に悩まれている方もいらっしゃいます。
そうした気持ちと復旧復興を両立させられるように、こちらも工夫が必要です。

今後遅かれ早かれ、片付けというマイナスをゼロに戻す作業だけでなく、何かをつくっていく時期になっていきます。
今まで受け継いだ歴史あるものを、何かに変えてまた引き継げるように、創造フェーズに向けた準備もしてきたいです。

すでに公費解体の申請をされている方も多いのですが、そこで課題になっていくのが残置物です。

家の中の家財をどれくらい片付けなければいけないのか。

特に応急危険度判定で危険や要注意と判断された家、高齢者のみの世帯など、解体する建物内の家財(のうちもう廃棄しても良いもの)を、どこまで住民自らが廃棄しなくてはいけないのかが、市町村によって判断が分かれています。

行政の基準によって、ボランティアがどこまで対応したほうがいいのかも変わってきます。
ボランティア側としたら、できるだけ公費解体と一緒に対応してほしいところ。

しかし、ここにも大きな課題があります。

 

奥能登エリアに”業”がすくない

 

人口減少や高齢化もあって、そもそもいろいろな業者さんや施設が少ないのです。
平時はそれでも回っていたものが、地震によって圧倒的に人手が足りなくなっています。

解体だけでなく、大工、瓦、水道、電気、宿、商店などいろいろ。

各業種のネットワークで、県外の土木建築等業者さんの呼び込みもあるようですが、石川県の単価が低いことで、他県からは割に合わないと敬遠されるとの話も聞きました。

また、業者さんの宿泊場所がなく、現地で仕事を受けることができないというケースも。
安定的に宿泊場所を確保できる可能性が高い金沢からは片道2時間以上かかる場所も多くあります。奥能登に宿泊場所が確保できればよいのですが。
仕事に来た業者さんのお昼ご飯を買うところがないから、住民さんが提供している、というところもありました。

地元の商店やチェーン店なども営業再開していますが、品揃えが安定しなかったり、時短営業になったりしています。仕事終わりに買い物ができなくなったので、食事面がつくれないという福祉施設の職員さんも。だから炊き出しがありがたい、との話も。

「早い復旧」には、足りないものだらけです。
もっと大きな枠組みでこうした復旧の下支えをしてもらいたいところです。

 

地域単位の支援

コーヒーは嗜好品なので避難所に支援物資としては届かない、避難所で日中やることがない、住民の方同士でちょっとずつギスギスした空気が生まれている、などなども感じられたので、少しずつ避難所や地域で人が集まる場所などにサロンを開催しています。

ちょっとホッとつく一息や、改めてみんなとお話しする機会を少しでもつくれたらと思っています。そうしたところから、ポロッと家の困りごとやニーズが出てくることもあります。

現場メンバーも引き続き、車両救出や貴重品取り出し、ブロック塀解体や撤去などを対応しています。
能登町内浦エリア、輪島市門前町・町野町など。

輪島市市街地や珠洲市などは仲間の団体が活動してくれているので、物資ニーズや炊き出しニーズなど時々相談しながらお届けしたり、サポートしたりにしています。

水が使えるようになったから、遠方から家に戻ってきた方もいらっしゃったり、暖かくなってきたから片付け本格的にしようかなとか、新しいニーズはポロポロうまれています。

 

年度末

1月の災害から3ヵ月が経過して、年度末でもありました。
少しずつ水道復旧率も上がってきていることから、支援撤退の動きもあります。
自衛隊の炊き出しが終わったり、お風呂が終了になったり。

数字で見る水道復旧率は、水道本管の修復に伴う数字です。
個人の敷地での水道管損壊については、個人個人で対応せねばなりません。

家の前まで復旧が進んでも、1ミリでも自分の敷地内であれば、業者さん手配はそれぞれで、もちろん費用も自分持ち。30万円かかったと話しているかたもいらっしゃいました。

水道が出ても、給湯器が壊れていたらお風呂には入れないし、ガス管やシステムキッチンが駄目なら煮炊きができない。

そして、そうした修理の依頼をしても、業者さんが少なくて順番待ちです。

カレンダーに左右されるのは、ボランティア側も一緒です。
3月の春休みや、年度末の有給消化で来てくれていたボランティアや支援者が一定数いましたが、4月からはそうもいきません。

5月のゴールデンウイークには、また少し人波が戻ってきそうですが、4月の人手確保はどこも厳しいのかもしれません。先日の台湾の地震のように、国内のどこかで別の大きな災害があれば、それに支援者も関心もごっそりと持っていかれてしまいます。

当初からの「なんとなくボランティア自粛ムード」と、年度またぎ、災害直後からの関心の低下、などが悪く作用している気がします。

 

近日中に、オンラインでの報告会を実施予定です。
SNSなどで告知しますので、ご興味ある方はぜひ

 

スライドショーには JavaScript が必要です。

013月/24

能登半島地震、2ヵ月レポート

地震発生から丸2ヵ月。
大半のエリアで電気の復旧が進み、一部の地域で水道が戻ってきました。

「数日前にようやく水が戻った」
「飲水が出るようになったから金沢から家族を連れてきた」
「電気や水が戻ってきた時、やっぱりホッとした」
「水が使えるようになったけど給湯器が駄目だからまだお風呂は先になりそう」
「あったかい水でお皿洗えるなんて幸せって思った」

こうした水道が出たという報告がちらほら聞こえます。

水が出たことで、地震前の生活に近い状態に戻れる世帯も多くありますが、水が出たとしても戻れないところも少なくありません。

これまでは、みんな一緒にライフライン不通で困っていました。ここから、復旧状況に大きな差が生まれていきます。
そこから出てくる気持ちの違いや地域の中の温度感には、少し目を向けておかないといけないと思います。

罹災証明の判定が出たとの話も聞こえてきました。
判定が出てきてようやく、自分の受けられる制度がどれくらいあるのかが分かっていきます。
先に進むからこそ、具体的に自分の生活再建をどうするか?を悩み始める様子もあります。

家がまだ立っていても倒壊してしまっても、個人個人の望みに一番近い形で生活再建ができるようなサポートができればなと思います。
家を修繕するのか、仮設住宅に住むのか、解体するのか、たくさんの選択肢の中から考えて選び取れるようにサポートしていく必要があります。

【会えない】

しかし、倒壊件数が多いエリアなどでは、そもそも住民さんに会うことが難しい。

2月に入ってからサポートを始めた、輪島市町野町。
珠洲市と同じような倒壊具合の場所があり、金沢など地域外へ避難している方も多く、家を訪問しても不在も多い。

今までずっとやってきている、車の救出や家財レスキューなども、住民の方と会えてはじめて進められるもの。

車は出してほしいけど金沢から戻ってくるのはだいぶ先、鍵を持っている人が遠方に避難している、などで進められないニーズもあります。

珈琲の炊き出し班や足湯隊などとも連携しながら、住民の方とお話できる機会をつくってもらっています。
珈琲の炊き出しやマッサージのサロンは、それぞれその提供以上の意味があったりします。
こうしたソフトな支援を提供しながら、現場のニーズに耳を傾けています。

 

【お風呂】

水の話に戻ると、まだ断水している地域も多数、水が出ないことでかなり多くの影響を受けています。
自衛隊風呂が各地にありますが、それに入れる人は限られています。

自力でお風呂まで行ける方で、自力でお風呂に入れる健康さがあって、入浴支援をしている時間帯にお風呂に行ける時間的余裕のある方に限られています。
整理券が配布されてそれを受け取って、指定の時間に再度行く、が難しい場合も、整理券がなくなって入れないというケースも。

DMPOやものづくりチームが設置しれくれたにしぎしのお風呂もそうですが、各地で支援団体がお風呂サービスをしています。
お風呂を作ったり、お風呂までの送迎を手配したり。

施設に入居されている方や、デイサービスなどでお風呂に入っていた高齢の方なども、お風呂に入れていませんでした。
そうした施設や個人宅に、お預かりしている訪問入浴車と給水車で出向いて、お風呂に入れるように状況を整えるお手伝いをしています。

1月から2月にかけては、何度か介護士ボランティアさんも来てくれて、入浴の介助をしてくれるタイミングもありました。
40日ぶり、2ヵ月ぶりにお風呂に入るという方にも出会います。


こわばった体がお湯でほぐれていって、見た目にも血行が良くなって、お顔も気持ちよさそうにゆるんだよ、という報告を聞いています。

お風呂には、健康面も精神面でもあたたかくほぐすという機能があって、これは時に生死を分かつこともあるのだと感じています。

 

【福祉施設】

介助が必要な方が特にお風呂に入れていないので、各地の施設へ訪問入浴車を持っていっています。
各施設でメンバーが感じているのは、スタッフの方の疲労感。
職員が3割減った、半減した、という話しもありますし、逆に被災して使えない施設から集約されて普段より利用者さんが多いという話しも聞きます。

もともと慢性的な人手不足のところに、地震が襲いました。

自宅が住めなくなったから、家族の介護や生活のためになどと、2次避難を余儀なくされて能登半島を離れたスタッフさんも一定数おられるはずです。
慢性的な人手不足を補うために、技能実習生が受け入れられているところがいくつかあります。こうした海外からのスタッフさんも同じように被災されています。

かなりギリギリな中で、どうにか福祉の現場を回してくださっています。
高齢化率が特に高い奥能登エリアでは、医療福祉に関わる方がいてくださらないと厳しい場所も多くあり、どこも地震の影響を受けています。

しかしこれは、超高齢化な日本の、どこでも起きえる話です。
日本各地で今のうちに、慢性的な人手不足をどうにかしておいてほしいと切に願います。

 

【避難所】

高齢の方が多い地域だからこそ、もともと認知症を抱えながら生活されている方も多いと聞いていました。在宅だけでなく、避難所にいらっしゃる場合もあります。

大人数の部屋ではなく、個室のような場所を使ってもらっているケース、近くの方がお世話をしてくれていたけど、その方が先に2次避難で別の場所に移られてしまったケースなど、各地で課題になっています。

また、1.5次や2次避難で能登半島を一度離れた方たちが戻ってくるケースも。
水や電気が復活したので在宅に戻ってくる動きもありますが、1次避難所へ戻ってきたいというニーズもあるようです。

1月1日からの過密状態の避難所が、2次避難などで人が少なくなることでどうにか段ボールベッドを入れたりゾーニングできるスペースが生まれた場所も多く、簡単に人員増加に対応できないとも聞きます。

2次避難先での心細さや手持ち無沙汰感、やっぱり地元に帰りたいという気持ちやいつまで2次避難先に居られるのかという不安感と、
電気や水が使えない状態や、決して快適といえない避難所生活に耐えてこられた方たちのお気持ちと、
どちらも分かるのですが、全ては避難生活環境の過酷さ、でもあると思います。

今回の地震対応は特に、人道的にもっとどうにかできるだろうと思う場面がかなりあります。
いまだに十分な食事の提供ができていないところも含めて。

こうした対応の大枠は、県や国などの大きなところでの調整が必要不可欠です。
国に災害対応のノウハウが全く溜まっていないことがそもそもの原因でもありますが、憲法でうたわれる健康で文化的な最低限度の生活ができるような環境整備をしてもらいたいと願うばかりです。

もちろん、民間でサポートできる限りのお手伝いをしているのですが、どこまで民間でやるべきなのか?が各地で活動する支援団体の共通の疑問になっています。

 

【支援のピーク】

どうにか、命をつなぐフェーズを乗り越えようと、たくさんの民間の支援が入っています。
しかし、発災直後の「被災地の混乱を防ぐために来ないで」というメッセージがずっと残ってしまっていると感じます。
どんな状況でも対応できる、と自立した支援組織は当初から現地入りして活動をしていましたが、そうした団体も息切れしてきています。

特に、災害直後から命をつなぐためにたくさんの民間組織が炊き出しを実施してきました。
長期間現地で炊き出しできる団体は少なく、大半が1回だけや数回分を用意して現地に来てくれる団体でした。
そうした団体からの炊き出し実施の申し出も減っていて、また再び食事面の課題が大きくなっています。
行政から調達されるお弁当があったりするものの、毎日ではないので食事の提供がない日が今後増えてしまう可能性もあります。

食事面以外の支援、家の片付けなどについては、各地の災害ボランティアセンターが稼働し始めています。
しかし、そもそも地震災害は災害ボランティアセンターで対応できることが少ないという側面があります。

水害は、家屋からの家財搬出や土砂撤去など、誰でも安全にできそうなことが多いのですが
地震で倒壊しかけた家屋から家財を出す、となると危険が伴います。
安全と確認できた家は良いですが、その安全の確認も難しい。

熊本地震などでもそうでしたが、災害ボランティアセンターとして動きづらいのは、こうしたそもそもの問題があります。

その分、災害支援に特化したNPOや民間組織などと連携してニーズに対応することが重要な時もあるのですが
各団体が、命をつなぐための物資や炊き出し・給水などの対応に追われていたこともあって、こうした連携がようやく始まった場所も多いです。
各地で連携が進めば、災害ボランティアセンターでの受入人数を増やしたりできていく可能性があります。

まだ各地の災害ボランティアセンターでの募集人数も少なく、これが「被災地でボランティアは必要ない」という誤ったメッセージとして受け取られてしまっているのかもしれません。

災害ボランティアの一番の役割は、その存在だとも思っています。
いろいろな困りごとに、「手伝う人がいる」ことが一番重要。
すべての活動は、一人じゃないよ、ちゃんと誰かが助けてくれるというメッセージを伝える手段です。

今回、ボランティアが入れなかったことで、このメッセージが伝えられていません。
2ヵ月景色が変わらない、誰も来ない中で、お一人で復旧活動をされているところもあるはずです。
そうした場所に、ちょっとしたお手伝いでも、お茶の1杯でも届けられたら、きっと暗いお気持ちを支えられると思います。

道路状況が少しずつ改善して、水やトイレ・宿泊場所の確保が少しずつ整ってきて、ボランティアさんにお願いしたいことが整理できてきています。
少しずつ、たくさんの方にお手伝いをお願いできる状況が整っています。

今からこそ、いろいろな方に来てもらって能登半島を支えてもらえるように、現地にいる人たちや、発信力を持つ人たちが発信せねばなと思います。

 

【関心の力】

1月2日から現地に入っている私たちも、当初は現地の町の様子に大きなショックを受けました。
各地でそれぞれ、甚大な被害があり、見るだけで気持ちがへこたれそうな光景があります。

一人ひとりお話をうかがえば、大切なものを失ったこと、今までの生活が送れない大変さ、今後への不安など、一つひとつの被害を受けた事実は変わらずあって、時間が経ったからこその課題も苦労もあります。

それでも、どうしても映像から受けるインパクトは少しずつ小さくなっていると感じます。
これは、現地で活動する私たちだけでなく、メディアから情報を受け取るみなさんも一緒ではないでしょうか。

自分たちの心を守る機能がちゃんと働いている結果ですが、悲惨な光景に少しずつ慣れてきています。いい意味でも、悪い意味でも。
そして、少しずつ関心が遠のいていくのが、いつもの課題です。
今までの被災地も、ガザもウクライナも同じです。

続けることが一番難しいですが、ぜひ、今後も各地の課題へ、注目を向けてもらいたいなと思います。

 

能登半島地震レポート①はこちら

251月/24

能登半島緊急支援、現地で起きていること

この度の地震で犠牲になられた方へ心よりお悔やみ申し上げます。また、一日も早く行方不明の方が家族の元へ帰られるように、そして先の見えない避難生活を送られる方たちが、少しでも早く安心できるようにと願います。

元日に能登半島をおそった地震は、阪神淡路大震災の3倍近いエネルギーだったとも言われています。それだけ大きな被害が能登半島全体におよびました。

そのエネルギーによる被害もさることながら、今回の被害の特徴は、半島の先が揺れたこと。

半島という地形上、支援を届けるには一方から進んでいくしかありません。例えば、熊本地震の時のように四方八方から支援に乗り込むことができませんでした。

こうした地形上の制約は、支援を入れる最初の段階を難しくした大きな要因です。

また、地震が発生した時期が悪かった。

1月1日の日本の大半がお休みの日。
もちろん即座に行政が対応したのは言うまでもありませんが、最初に動いた公的支援は、この規模の災害から考えて圧倒的に少なかったのではと思います。
状況がつかめだした1月5日ぐらいになると、地方自治体から給水車や物資支援、職員派遣が増えはじめましたが、特に3が日までは、その土地にあるリソースだけで切り抜けていたケースが多かったのでは。

そもそも、上下水道・電気・ガス・通信の全てのインフラが止まってしまっていました。
電気はおおむね復旧してきているものの、上下水道に関してはまだ使えないところが多くあります。
ようやく復旧の見通しが具体的な数字で出るようになってきましたが、それでも少なくとも1ヶ月は先、春まで難しいという地域があります。

水が使えないという1点だけでも、避難生活の衛生環境悪化の原因になっています。

災害後すぐから、汚物であふれるトイレ。災害発生後10日後くらいから仮設トイレの設置が進んできたものの、まだ家のトイレは使えません。

既存の便器にビニールをかけて猫砂などを入れて対応続けている、という話も聞きました。

水が使えないとトイレを控える、だから水もとらなくなる。
料理も簡単な物だけになり、栄養価が大きく偏る。
風呂に入るのに14日ぶりという方もたくさんおられました。
みなさんの想像以上に、健康面への影響は大きいはずです。
地震の二次的な影響が心配です。

避難生活に必要な環境が整わない。これは、地震によって道路が壊滅的な被害を受けたことも要因です。

国道や県道などの主要な道路の多くがひび割れ、通れる道がない。

地震から一週間弱ぐらいは、自衛隊や県からのトラックも奥能登に入ってこれない状況がありました。
大きな車両が入れない。
だから水も食料も燃料もトイレも届かず、ボランティアや個人が小さな車で届けた物資がとても重宝された時期がありました。

交通網というインフラがやられてしまったのは大きい。それに加えて、土砂崩れなどで孤立が多発。

行方不明者捜索などの関係車両、医療系、電気工事車、給水車、通信車、自衛隊車両、、、

通れる道が限られる上に、こうした災害復旧従事車両が大量に入ってきたことで、普段10分の道に1時間かかるような渋滞が起こったりしています。
(3週間が過ぎて少しずつ改善されてきていますが、タイミングによっては大渋滞が発生しています)

渋滞と道路被害によって、行政からの支援物資が届きにくいこともありました。
地震直後はようやく届いたおにぎりが、届いた時には賞味期限切れになっていたことも。

そんな状況もあって、避難所にはお弁当が手配されていません。賞味期限に余裕のある、菓子パンや惣菜パンになっています。

毎日の食料のメインが菓子パン。もちろん、地震直後の食べるものがない時期は、パンがありがたかったのですが。しかし今は地震発生から3週間以上。

自炊ができないので、カップ麺などだけを食べている高齢者の方もまだたくさんいらっしゃる。

ようやく段ボールベッドが導入されはじめましたが、これまでは硬い床の上に薄い毛布を重ねただけで寝ている方もいらっしゃいました。
いまだ土足禁止にできないところもあります(衛生面から、本来は早めに土足禁止に切り替えたいところ)。

高齢化率50%をこえる市と町を含む奥能登地区。
避難所での高齢者の姿が圧倒的に多い気がします。

石川県などは、健康被害の拡大を防ぐためにも、1.5次避難や2次避難を活用して、ライフラインの整った地域での避難生活をすすめています。

しかし、1.5次避難所が福祉避難所化しています。
2次避難所(ホテルなど)で自立した生活ができない方がとどまっているため。DMATなど医療介護系スタッフが24時間巡回する必要があるエリアと、そうでないエリアが存在しています。
そうでないエリアでも、3軒に1つは車椅子か押し車があるくらいの状況です。

そもそも、被災エリアの福祉施設でも厳しい状況が続いています。

避難所に指定されていないため、物資が届きにくかったり、職員さんが出勤できずにスタッフの人手が足りないという課題も生まれています。
限られたスタッフで四六時中排せつ介助をされていたり、洗濯ができない衛生状態の悪い中で入居者さんの健康を維持しないといけない状況です。

 

入浴できない、洗濯できない、物資不足の中で、下着やシーツや衣類を使い捨てで対応していると聞きました。
そもそも平時から人手の余裕がない状態のところに、災害でかなりの負担がかかっています。

 

石川県珠洲市や能登町の高齢化率は50%超え。細かく区切ればはその平均よりも高い地域もあります。
今遠方へ避難している方も、避難所にいる方も、どうにか自宅で住んでいる方も、大半が高齢者です。

解体して新しく建てるのはもちろん、屋根を本格修理するには数百万円かかることもあります。今回被害を受けた家で再び住めるようにするのに、いったいいくらかけられるのか。はたして町の大半を占める高齢者にその出費が可能なのか。

さまざまな理由で、再建を諦める方も増えるでしょう。
そして、被害が大きかった地区や地域は、町をイチからつくりなおすくらいのことが必要です。

今回の地震は、一度落ち着いて復興までを考えた、広い視野で復旧を考えていかなければ進まない規模の災害です。

しかし、毎日の食事や生活環境の課題が大きすぎて、その対応で毎日が終わってしまっているように思います。

被災された方に最前線で対応している自治体職員や復旧の地元関係者も、ほぼ全てが被災者。
家族を金沢へ送り、自分は傾いた家から通っている職員さんもいらっしゃいます。復旧対応する方たち自身も疲弊している。

一つの市や町では対応できない規模です。もっと、県に、県がだめなら国にしっかりサポートしてほしい規模であると思います。もう少し大きな規模でサポート体制を見直してほしい。

 

1月1日に起きた地震。ここからまだ寒い時期が続きます。

2016年4月に起きた熊本地震は、直接死50名、関連死はその4倍の200名以上。持病の悪化や転院などによる影響もありますが、避難生活環境からのものもある。

今回もすでに関連死が報道されていますが、どれくらいの方が関連死となってしまうのか、現場のどのNPOも危機感を持っています。

低体温症、エコノミー症候群、自死、感染症、たくさんのリスクがある中で生活されている。もちろんたくさんの方の手で、少しずつ改善されていますが、圧倒的に足りていない。

地震から助かった命だからこそ、できるだけ守りたい。それは現場で動いている行政も民間も気持ちは一緒だと思っています。

しかし、どうにも改善できない避難生活の環境。
過去の被災地でできたような支援ができないような状況でもあります。
どの支援団体もある種の無力感を感じながら前線で活動しているはずです。

でも、NPOは救命はできませんが、命をつなぐための希望を届けられるはず。

助かったものを救い出して、一人じゃないよと食べ物や安心を届ける。
それだけしかできないけれど、少しは住民の方の支えになれると信じています。

阪神淡路大震災から29年。いったい、どれくらい被災地支援はアップデートできたのか、と疑問に思いながらも、できることを毎日少しずつ進めていきます。