沖縄研修について

Facebookの毎日投稿で少し触れていた、沖縄研修について

 

研修の目的

沖縄には災害はなくとも、様々な社会課題が存在しています。
その大きな原因の一つが76年前の沖縄で繰り広げられた地上戦です。
以前沖縄へ訪れた際、ウチナンチュ(沖縄人)に限らず、現代の日本人として沖縄の課題を知るべきだと感じました。
しかし、沖縄の抱える問題を私の身の回りの人に話しても、あまりピンときてもらえなかった。そもそも沖縄戦のことをよく知らない人が多いと分かりました。
今もなお、南部の土砂投入などいろいろな形で課題が進行しているからこそ、現地で過去に何が起きたかを振り返る、そして今後のことを一緒に考えて欲しい。
そういった思いから沖縄研修を実施しました。

研修の前提として、コロナウイルスを持ち込まない・広げないことを最優先にしました。
参加者には、沖縄到着時と参加後に抗原検査を実施しています。
また今回は災害NGO結の位置づけや色々な点を考慮して結の経費は使っていません。

研修の工程
<1日目>
平和記念公園資料館の展示→展望台→平和の礎→各県の慰霊碑→沖縄師範健児の塔→ひめゆり資料館→魂魄の塔→熊野鉱山→ガマ
<2日目>
普天間飛行場が見える嘉数展望台→辺野古漁港→多幸の山学校で高江ヘリパッド問題のお話会

1日目は、ガイドのMさん(普段は修学旅行生などのガイドさん)に同行してもらい、沖縄の過去、現実を一つ一つの場所でお話しいただき落とし込んでいきました。

平和祈念公園

資料館の入り口には不発弾が展示されています。現在も不発弾が各地で発見され、沖縄では建設前に地中の金属探知が必須だそうです。
しかし近年でも、探知が十分でないため工事中に爆発、負傷者が出たという事故があるそうです。

資料館の展望台では辺り一片が見渡せました。
ぐるりと陸地側に目を向けると、土地開発のため削られ、むき出しになている茶色い土の砂山がポツポツと確認できます。
沖縄は世界で最も海岸線を開発されている地域の一つ。
糸満市西崎や那覇空港も、埋立地です。
経済発展のために開発を進めなければならない、ただそこでは自然の海岸線が失われる等、いろいろな課題が見えるなと感じました。

平和の礎

たくさんの礎に、沖縄戦で犠牲になった人の名前が刻まれています。沖縄の人、日本軍として全国各地から来た人、また連合軍である米軍や諸外国の兵士の名前も刻まれています。
当時敵対国であった犠牲者の名前も一緒に記されているのは珍しいそう。
碑には基本的に名前がフルネームで彫られているのですが、中には○○○の次女、などという表記も。家族全員が犠牲になってしまうと、その子の名前も分かりません。4人に1人が犠牲になった沖縄戦、という規模を実感しました。

摩文仁の丘

摩文仁の丘を登った一番奥には、陸軍の司令官だった牛島満の石碑があります。彼の石碑が丘の一番奥、一番高い場所にあるのも、なんだか考えさせられました。

健児の塔

健児の塔は、沖縄師範学校から動員され、犠牲になった男子生徒が祀られています。当時の沖縄師範学校の学生といえば、エリートだったそうです。若き沖縄のエリートたちが多く犠牲になったしまったことは、沖縄の戦後復興に大きな影響を与えたはずです。

ひめゆり資料館

ひめゆり資料館はその日から展示内容をリニューアルしていました。
2年前に来たときよりも、明るい雰囲気。写真や沖縄戦についての説明が、柔らかいイラストと、ひめゆり学徒隊の生活を詳しくまとめたものに変わっていた気がします。
平和祈念公園の資料館が、沖縄戦の総合的な説明だとしたら、ひめゆり資料館は、少女たちがどうやって戦火に巻き込まれ、どんな体験をしたのかを一つひとつ追いかけるような構成だと感じました。
全体のコンセプトも、一つひとつの証言が残すメッセージも、風化させないという意志を感じるものでした。
沖縄戦を学ぶ上で、避けてはいけない施設かもしれません。

ガマ

入り口から別世界のような空間で、ひんやりと涼しい。
狭い入り口の先には、空間は広がっていて立派な鍾乳洞になっていました。
頭と足元に気をつけながら、どんどん先に。
一番奥にある空間では当時たくさんの住民と日本軍が暮らしていたそうです。6月25日の米軍からの投降命令を受け出てきた人数は、約600人。
しかしそこは狭くゴツゴツした空間です。証言をもとに書かれた当時の絵を見ると、まるで満員電車のようだったといいます。
途中からは日本軍にガマの出入りを禁じられ、ぎゅうぎゅうになりながらさらに息をひそめて暮らしていたのでしょうか。

完全に外からの光が入らないので、中は真っ暗。
持っていたヘッドライトを全部消すと、目を開けているのか閉じているのかが分からなくなる暗闇でした。

暗闇の中、ガイドのMさんが実際にこのガマで起きた話をしてくれました。
その一つがこのガマで生き延びた女性から聞いたお話。

その女性は、ぎゅうぎゅうのガマの中でおばあと小さい男の子の会話を聞いていました。
どうやらお腹が空いている坊やをおばあがなだめているよう。
我慢の限界が来た坊やは泣いてしまいます、すると日本兵が来て「黙らせろ」。
おばあは大事に取っておいた黒糖を坊やにあげますが、坊やはまたすぐにぐずりだしてしまいます。
再びやってきた日本兵、「黒糖またあげるから」とおばあが坊やに言った瞬間、黒糖は兵士にとりあげられました。
「それは僕の黒糖だ!返せ!返せ!」と怒って泣き叫ぶ坊やの声と同時に、「ズドン」と大きな音が鳴り響きます。
それきり、坊やの声は聞こえなくなったそうです。

その他にも、たくさんの悲しい証言があるそうです。
人間が人間として尊重しあえないような状況が、このガマで、沖縄で、もちろん日本の各地で起きていた、その事実をひしひしと感じました。

こうして、息をするのを忘れるぐらいの、ヘビーな1日目を終えました。

2日目は、ガイドMさんの同行はなしで、結グループだけで見学しました。

嘉数展望台

展望台を登ると、普天間基地の飛行場が見えます。
ちょうど一台のオスプレイが飛び立ち、街の上を一定時間旋回しどこかに消えていきました。
近くであんなに大きな航空機が飛んでいるのは、やはり沖縄だからか。

近くの小学校の校庭には、コンクリートで作られたシェルターがあるそうです。
2017年の米軍ヘリの窓が落ちてきた事に対する対策です。『(米軍機の)音を聞いて、止まって、目視、怖いと思ったら逃げましょう』と小学校で教えられているようです。

辺野古漁港

穏やかな町中にある漁港、たくさんの船が岸に並んでいました。
人影もなく、あおい海で素敵なロケーションですが、砂浜の左側はフェンスで区切られています。
2年前来たときは、遠くにはほとんど何も見えなかったのですが、今回はテトラポットが何段にも積み上げられているのが目視で見えました。
ちょうどコロナの感染者が増えてきていたタイミングでもあったので、ゲート前の座り込みは中止。
それでも埋め立て工事は進み、業者は土砂を搬入しています。
被災地でもですが、不要不急ってなんだろうか、と思ってしまいます。

多幸の山学校

高江村のヘリパッド建設問題の当事者からお話を聞く機会をいただきました。
村への米軍基地の敷地内にヘリパッド建設が決定し、対して近隣住民が反対。
反対していた住民の方たちが工事の妨害をしたと国から訴えられる、という事態にも発展しました。
お話をしてくれた彼だけでなく、抗議の現場にはいなかった小学生の娘さんまで告訴の対象となってしまったそうです。
県民同士の温度差、地元住民の中の考えの違い、さまざまなバッシングや非難。
活動すること事態に疲れてしまって、最近は少しそうした動きから離れていたんだ、とポツリポツリと心境をお話くださる姿が、とても小さく見えました。
未だ現在進行系で進む課題と、それに向き合い続けて消耗してしまった姿なのかと感じました。

現在にまで続いている課題を知って、その当事者の声を聞いて、ウチナンチュの意見を聞いて。
最後はお話ししてくれた彼が即興の歌を、みんなでそこら辺にあるもので音を奏で、楽しいセッションで研修が終了しました。

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この2日間の参加者の感想

・知ってはいたが詳しくは知らないことだった。避けていたのかも。
・沖縄ものことも、住んでいる長崎の原爆の話も、継いでいく事の意義を感じた。
・ひめゆりでの生々しい証言の大切さと、証言者の勇気によって伝えられていることを感じた。
・無謀な戦争をやっていたという衝撃がいまだにある。
・研修後、沖縄に関する報道を聞いても以前とは感じることが違った。
・ガマでは、自分の中で―セーブしなければ苦しくなるほどだった。
・中学生の時以来の沖縄平和学習で、大人になって感じるものは多かった。
・きつかった。こんなに悲惨なことが起きたにも関わらず、今も世界で戦争が起きていることに悲しい気持ち。
・アメリカの基地問題において、沖縄人対沖縄人の構図になっているのがつらい。
・なぜきれいな海を埋め立てる?なぜ激戦地の土を使う?倫理的にあり得ないような内容。どこか他人事のように決められたのではとも思う。
・日常的に戦闘機が飛び交うことや、騒音を初めて肌で感じた。
・辺野古の静けさと着々と進む異様さ。
・日常になっているかもしれない沖縄の若い人たちはどう考えているのだろう。日常になり、関心や実感がなくなると、また繰り返されてしまうのではないかと。
・「怒りは疲れる」が印象的な言葉。楽しさとともに伝えていくことの大切さと難しさを感じた。
・歌いながら楽しむかたちで沖縄の人たちと関わる時間もすごくよかった。
・何をどうしていいのだろう。山ほど知って、感じてだけれども、どうしたらいいのだろう

今回は初めての試みでもあったので、広く募集もせずに試験的な少数人数での開催としました。
感想にもありますが、今まで知る機会がなかったような課題にも触れるチャンスになったと感じています。
日本の一部である沖縄、今後もたくさんの人に 知ってもらい、考えてもらいたいです。
被災地の課題もそうですが、やはり現地で直接見て感じて触れて、何が課題かを自分で考えることが一番。
コロナウイルスにまつわる状況など、もっといろいろなことが落ち着いたら、スタディーツアーのような形で、みなさんと考えたいなとも思っています。

また沖縄研修レポートについて今回はまとめたものを掲載しておりますが、
詳しい全文は下記より、興味ある方は是非ご覧ください。
沖縄研修レポート全文