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044月/24

3月レポート

少しずつあたたかくなってきた能登半島。桜の見頃は4月半ばのようです。

道路は走りやすくなりましたが、まだまだ町並みは変わらないところも多く、前進感を感じにくいなかでもあります。まだライフラインが整わない場所もあります。

見通しがつきにくい一方で、少しずつ仮設住宅が建設されて入居が進んでいます。

しかし今入居できるのは一握りの方です。仮設住宅に申し込んだけど募集から外れてしまった方もいらっしゃいます。各地で随時建設が進んでいますが、総建設数は希望数よりも少ない見込みです。

同じ避難所から、仮設に入れる人、入れない人など少しずつ生活状況に差が生まれていっています。小さな不満が少しずつ積もっていって、ストレスになっている様子がうかがえます。

仮設住宅に入れたものの、物理的な狭さと精神的な狭さが課題です。

被災地あるあるでもあります。

先祖代々継いできた家は、家自体が何部屋もあって広々。敷地も広く、蔵が何棟かあるところも珍しくありません。お隣さんはいるけど、物理的な距離がある生活でした。

それが、プレハブで隣同士の並び、一軒ずつもとても狭い。

3人世帯などだと、2部屋1K水回りというとってもシンプルな作りで、収納も少ない。狭いキッチンで、冷蔵庫や洗濯機も入れるにはサイズが限られそうな寸法の作りだったりします。(建設するメーカーもさまざまなのでいろいろなタイプの仮設住宅があります)

申し込んでいたけれど、中の様子を見てキャンセルした人が何人もいる、という話も少し聞きました。

隣の家の物音が聞こえることなんてなかったし、しゃべり声の大きさを気にしたことない生活だった方も多くいらっしゃいます。
周りが同じ地域の方だからこその安心感と居づらさもあると感じています。

仮設住宅の環境改善や、コミュニティ支援としてまた各地それぞれ支援団体が活動することになるのではと思っています。

仮設住宅で仮の生活を安定させる一方、今までの家をどうするのか。

公費解体の受付が各地で始まり、申し込んでいる方も多くいらっしゃいます。
(今回の能登半島地震では、半壊以上の被害認定がれば)住民側の負担なしで公費で自宅解体ができる制度があります。

1階が潰れてしまったような、素人目にも全壊と分かるような被害がある家でも、住民さんにとっては、大事な家。
築100年以上、先祖代々継いできた家もめずらしくありません。

いくら地震で被害をうけたからといって、自分の代で潰していいのか。

そんな風に悩まれている方もいらっしゃいます。
そうした気持ちと復旧復興を両立させられるように、こちらも工夫が必要です。

今後遅かれ早かれ、片付けというマイナスをゼロに戻す作業だけでなく、何かをつくっていく時期になっていきます。
今まで受け継いだ歴史あるものを、何かに変えてまた引き継げるように、創造フェーズに向けた準備もしてきたいです。

すでに公費解体の申請をされている方も多いのですが、そこで課題になっていくのが残置物です。

家の中の家財をどれくらい片付けなければいけないのか。

特に応急危険度判定で危険や要注意と判断された家、高齢者のみの世帯など、解体する建物内の家財(のうちもう廃棄しても良いもの)を、どこまで住民自らが廃棄しなくてはいけないのかが、市町村によって判断が分かれています。

行政の基準によって、ボランティアがどこまで対応したほうがいいのかも変わってきます。
ボランティア側としたら、できるだけ公費解体と一緒に対応してほしいところ。

しかし、ここにも大きな課題があります。

 

奥能登エリアに”業”がすくない

 

人口減少や高齢化もあって、そもそもいろいろな業者さんや施設が少ないのです。
平時はそれでも回っていたものが、地震によって圧倒的に人手が足りなくなっています。

解体だけでなく、大工、瓦、水道、電気、宿、商店などいろいろ。

各業種のネットワークで、県外の土木建築等業者さんの呼び込みもあるようですが、石川県の単価が低いことで、他県からは割に合わないと敬遠されるとの話も聞きました。

また、業者さんの宿泊場所がなく、現地で仕事を受けることができないというケースも。
安定的に宿泊場所を確保できる可能性が高い金沢からは片道2時間以上かかる場所も多くあります。奥能登に宿泊場所が確保できればよいのですが。
仕事に来た業者さんのお昼ご飯を買うところがないから、住民さんが提供している、というところもありました。

地元の商店やチェーン店なども営業再開していますが、品揃えが安定しなかったり、時短営業になったりしています。仕事終わりに買い物ができなくなったので、食事面がつくれないという福祉施設の職員さんも。だから炊き出しがありがたい、との話も。

「早い復旧」には、足りないものだらけです。
もっと大きな枠組みでこうした復旧の下支えをしてもらいたいところです。

 

地域単位の支援

コーヒーは嗜好品なので避難所に支援物資としては届かない、避難所で日中やることがない、住民の方同士でちょっとずつギスギスした空気が生まれている、などなども感じられたので、少しずつ避難所や地域で人が集まる場所などにサロンを開催しています。

ちょっとホッとつく一息や、改めてみんなとお話しする機会を少しでもつくれたらと思っています。そうしたところから、ポロッと家の困りごとやニーズが出てくることもあります。

現場メンバーも引き続き、車両救出や貴重品取り出し、ブロック塀解体や撤去などを対応しています。
能登町内浦エリア、輪島市門前町・町野町など。

輪島市市街地や珠洲市などは仲間の団体が活動してくれているので、物資ニーズや炊き出しニーズなど時々相談しながらお届けしたり、サポートしたりにしています。

水が使えるようになったから、遠方から家に戻ってきた方もいらっしゃったり、暖かくなってきたから片付け本格的にしようかなとか、新しいニーズはポロポロうまれています。

 

年度末

1月の災害から3ヵ月が経過して、年度末でもありました。
少しずつ水道復旧率も上がってきていることから、支援撤退の動きもあります。
自衛隊の炊き出しが終わったり、お風呂が終了になったり。

数字で見る水道復旧率は、水道本管の修復に伴う数字です。
個人の敷地での水道管損壊については、個人個人で対応せねばなりません。

家の前まで復旧が進んでも、1ミリでも自分の敷地内であれば、業者さん手配はそれぞれで、もちろん費用も自分持ち。30万円かかったと話しているかたもいらっしゃいました。

水道が出ても、給湯器が壊れていたらお風呂には入れないし、ガス管やシステムキッチンが駄目なら煮炊きができない。

そして、そうした修理の依頼をしても、業者さんが少なくて順番待ちです。

カレンダーに左右されるのは、ボランティア側も一緒です。
3月の春休みや、年度末の有給消化で来てくれていたボランティアや支援者が一定数いましたが、4月からはそうもいきません。

5月のゴールデンウイークには、また少し人波が戻ってきそうですが、4月の人手確保はどこも厳しいのかもしれません。先日の台湾の地震のように、国内のどこかで別の大きな災害があれば、それに支援者も関心もごっそりと持っていかれてしまいます。

当初からの「なんとなくボランティア自粛ムード」と、年度またぎ、災害直後からの関心の低下、などが悪く作用している気がします。

 

近日中に、オンラインでの報告会を実施予定です。
SNSなどで告知しますので、ご興味ある方はぜひ

 

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013月/24

能登半島地震、2ヵ月レポート

地震発生から丸2ヵ月。
大半のエリアで電気の復旧が進み、一部の地域で水道が戻ってきました。

「数日前にようやく水が戻った」
「飲水が出るようになったから金沢から家族を連れてきた」
「電気や水が戻ってきた時、やっぱりホッとした」
「水が使えるようになったけど給湯器が駄目だからまだお風呂は先になりそう」
「あったかい水でお皿洗えるなんて幸せって思った」

こうした水道が出たという報告がちらほら聞こえます。

水が出たことで、地震前の生活に近い状態に戻れる世帯も多くありますが、水が出たとしても戻れないところも少なくありません。

これまでは、みんな一緒にライフライン不通で困っていました。ここから、復旧状況に大きな差が生まれていきます。
そこから出てくる気持ちの違いや地域の中の温度感には、少し目を向けておかないといけないと思います。

罹災証明の判定が出たとの話も聞こえてきました。
判定が出てきてようやく、自分の受けられる制度がどれくらいあるのかが分かっていきます。
先に進むからこそ、具体的に自分の生活再建をどうするか?を悩み始める様子もあります。

家がまだ立っていても倒壊してしまっても、個人個人の望みに一番近い形で生活再建ができるようなサポートができればなと思います。
家を修繕するのか、仮設住宅に住むのか、解体するのか、たくさんの選択肢の中から考えて選び取れるようにサポートしていく必要があります。

【会えない】

しかし、倒壊件数が多いエリアなどでは、そもそも住民さんに会うことが難しい。

2月に入ってからサポートを始めた、輪島市町野町。
珠洲市と同じような倒壊具合の場所があり、金沢など地域外へ避難している方も多く、家を訪問しても不在も多い。

今までずっとやってきている、車の救出や家財レスキューなども、住民の方と会えてはじめて進められるもの。

車は出してほしいけど金沢から戻ってくるのはだいぶ先、鍵を持っている人が遠方に避難している、などで進められないニーズもあります。

珈琲の炊き出し班や足湯隊などとも連携しながら、住民の方とお話できる機会をつくってもらっています。
珈琲の炊き出しやマッサージのサロンは、それぞれその提供以上の意味があったりします。
こうしたソフトな支援を提供しながら、現場のニーズに耳を傾けています。

 

【お風呂】

水の話に戻ると、まだ断水している地域も多数、水が出ないことでかなり多くの影響を受けています。
自衛隊風呂が各地にありますが、それに入れる人は限られています。

自力でお風呂まで行ける方で、自力でお風呂に入れる健康さがあって、入浴支援をしている時間帯にお風呂に行ける時間的余裕のある方に限られています。
整理券が配布されてそれを受け取って、指定の時間に再度行く、が難しい場合も、整理券がなくなって入れないというケースも。

DMPOやものづくりチームが設置しれくれたにしぎしのお風呂もそうですが、各地で支援団体がお風呂サービスをしています。
お風呂を作ったり、お風呂までの送迎を手配したり。

施設に入居されている方や、デイサービスなどでお風呂に入っていた高齢の方なども、お風呂に入れていませんでした。
そうした施設や個人宅に、お預かりしている訪問入浴車と給水車で出向いて、お風呂に入れるように状況を整えるお手伝いをしています。

1月から2月にかけては、何度か介護士ボランティアさんも来てくれて、入浴の介助をしてくれるタイミングもありました。
40日ぶり、2ヵ月ぶりにお風呂に入るという方にも出会います。


こわばった体がお湯でほぐれていって、見た目にも血行が良くなって、お顔も気持ちよさそうにゆるんだよ、という報告を聞いています。

お風呂には、健康面も精神面でもあたたかくほぐすという機能があって、これは時に生死を分かつこともあるのだと感じています。

 

【福祉施設】

介助が必要な方が特にお風呂に入れていないので、各地の施設へ訪問入浴車を持っていっています。
各施設でメンバーが感じているのは、スタッフの方の疲労感。
職員が3割減った、半減した、という話しもありますし、逆に被災して使えない施設から集約されて普段より利用者さんが多いという話しも聞きます。

もともと慢性的な人手不足のところに、地震が襲いました。

自宅が住めなくなったから、家族の介護や生活のためになどと、2次避難を余儀なくされて能登半島を離れたスタッフさんも一定数おられるはずです。
慢性的な人手不足を補うために、技能実習生が受け入れられているところがいくつかあります。こうした海外からのスタッフさんも同じように被災されています。

かなりギリギリな中で、どうにか福祉の現場を回してくださっています。
高齢化率が特に高い奥能登エリアでは、医療福祉に関わる方がいてくださらないと厳しい場所も多くあり、どこも地震の影響を受けています。

しかしこれは、超高齢化な日本の、どこでも起きえる話です。
日本各地で今のうちに、慢性的な人手不足をどうにかしておいてほしいと切に願います。

 

【避難所】

高齢の方が多い地域だからこそ、もともと認知症を抱えながら生活されている方も多いと聞いていました。在宅だけでなく、避難所にいらっしゃる場合もあります。

大人数の部屋ではなく、個室のような場所を使ってもらっているケース、近くの方がお世話をしてくれていたけど、その方が先に2次避難で別の場所に移られてしまったケースなど、各地で課題になっています。

また、1.5次や2次避難で能登半島を一度離れた方たちが戻ってくるケースも。
水や電気が復活したので在宅に戻ってくる動きもありますが、1次避難所へ戻ってきたいというニーズもあるようです。

1月1日からの過密状態の避難所が、2次避難などで人が少なくなることでどうにか段ボールベッドを入れたりゾーニングできるスペースが生まれた場所も多く、簡単に人員増加に対応できないとも聞きます。

2次避難先での心細さや手持ち無沙汰感、やっぱり地元に帰りたいという気持ちやいつまで2次避難先に居られるのかという不安感と、
電気や水が使えない状態や、決して快適といえない避難所生活に耐えてこられた方たちのお気持ちと、
どちらも分かるのですが、全ては避難生活環境の過酷さ、でもあると思います。

今回の地震対応は特に、人道的にもっとどうにかできるだろうと思う場面がかなりあります。
いまだに十分な食事の提供ができていないところも含めて。

こうした対応の大枠は、県や国などの大きなところでの調整が必要不可欠です。
国に災害対応のノウハウが全く溜まっていないことがそもそもの原因でもありますが、憲法でうたわれる健康で文化的な最低限度の生活ができるような環境整備をしてもらいたいと願うばかりです。

もちろん、民間でサポートできる限りのお手伝いをしているのですが、どこまで民間でやるべきなのか?が各地で活動する支援団体の共通の疑問になっています。

 

【支援のピーク】

どうにか、命をつなぐフェーズを乗り越えようと、たくさんの民間の支援が入っています。
しかし、発災直後の「被災地の混乱を防ぐために来ないで」というメッセージがずっと残ってしまっていると感じます。
どんな状況でも対応できる、と自立した支援組織は当初から現地入りして活動をしていましたが、そうした団体も息切れしてきています。

特に、災害直後から命をつなぐためにたくさんの民間組織が炊き出しを実施してきました。
長期間現地で炊き出しできる団体は少なく、大半が1回だけや数回分を用意して現地に来てくれる団体でした。
そうした団体からの炊き出し実施の申し出も減っていて、また再び食事面の課題が大きくなっています。
行政から調達されるお弁当があったりするものの、毎日ではないので食事の提供がない日が今後増えてしまう可能性もあります。

食事面以外の支援、家の片付けなどについては、各地の災害ボランティアセンターが稼働し始めています。
しかし、そもそも地震災害は災害ボランティアセンターで対応できることが少ないという側面があります。

水害は、家屋からの家財搬出や土砂撤去など、誰でも安全にできそうなことが多いのですが
地震で倒壊しかけた家屋から家財を出す、となると危険が伴います。
安全と確認できた家は良いですが、その安全の確認も難しい。

熊本地震などでもそうでしたが、災害ボランティアセンターとして動きづらいのは、こうしたそもそもの問題があります。

その分、災害支援に特化したNPOや民間組織などと連携してニーズに対応することが重要な時もあるのですが
各団体が、命をつなぐための物資や炊き出し・給水などの対応に追われていたこともあって、こうした連携がようやく始まった場所も多いです。
各地で連携が進めば、災害ボランティアセンターでの受入人数を増やしたりできていく可能性があります。

まだ各地の災害ボランティアセンターでの募集人数も少なく、これが「被災地でボランティアは必要ない」という誤ったメッセージとして受け取られてしまっているのかもしれません。

災害ボランティアの一番の役割は、その存在だとも思っています。
いろいろな困りごとに、「手伝う人がいる」ことが一番重要。
すべての活動は、一人じゃないよ、ちゃんと誰かが助けてくれるというメッセージを伝える手段です。

今回、ボランティアが入れなかったことで、このメッセージが伝えられていません。
2ヵ月景色が変わらない、誰も来ない中で、お一人で復旧活動をされているところもあるはずです。
そうした場所に、ちょっとしたお手伝いでも、お茶の1杯でも届けられたら、きっと暗いお気持ちを支えられると思います。

道路状況が少しずつ改善して、水やトイレ・宿泊場所の確保が少しずつ整ってきて、ボランティアさんにお願いしたいことが整理できてきています。
少しずつ、たくさんの方にお手伝いをお願いできる状況が整っています。

今からこそ、いろいろな方に来てもらって能登半島を支えてもらえるように、現地にいる人たちや、発信力を持つ人たちが発信せねばなと思います。

 

【関心の力】

1月2日から現地に入っている私たちも、当初は現地の町の様子に大きなショックを受けました。
各地でそれぞれ、甚大な被害があり、見るだけで気持ちがへこたれそうな光景があります。

一人ひとりお話をうかがえば、大切なものを失ったこと、今までの生活が送れない大変さ、今後への不安など、一つひとつの被害を受けた事実は変わらずあって、時間が経ったからこその課題も苦労もあります。

それでも、どうしても映像から受けるインパクトは少しずつ小さくなっていると感じます。
これは、現地で活動する私たちだけでなく、メディアから情報を受け取るみなさんも一緒ではないでしょうか。

自分たちの心を守る機能がちゃんと働いている結果ですが、悲惨な光景に少しずつ慣れてきています。いい意味でも、悪い意味でも。
そして、少しずつ関心が遠のいていくのが、いつもの課題です。
今までの被災地も、ガザもウクライナも同じです。

続けることが一番難しいですが、ぜひ、今後も各地の課題へ、注目を向けてもらいたいなと思います。

 

能登半島地震レポート①はこちら

251月/24

能登半島緊急支援、現地で起きていること

この度の地震で犠牲になられた方へ心よりお悔やみ申し上げます。また、一日も早く行方不明の方が家族の元へ帰られるように、そして先の見えない避難生活を送られる方たちが、少しでも早く安心できるようにと願います。

元日に能登半島をおそった地震は、阪神淡路大震災の3倍近いエネルギーだったとも言われています。それだけ大きな被害が能登半島全体におよびました。

そのエネルギーによる被害もさることながら、今回の被害の特徴は、半島の先が揺れたこと。

半島という地形上、支援を届けるには一方から進んでいくしかありません。例えば、熊本地震の時のように四方八方から支援に乗り込むことができませんでした。

こうした地形上の制約は、支援を入れる最初の段階を難しくした大きな要因です。

また、地震が発生した時期が悪かった。

1月1日の日本の大半がお休みの日。
もちろん即座に行政が対応したのは言うまでもありませんが、最初に動いた公的支援は、この規模の災害から考えて圧倒的に少なかったのではと思います。
状況がつかめだした1月5日ぐらいになると、地方自治体から給水車や物資支援、職員派遣が増えはじめましたが、特に3が日までは、その土地にあるリソースだけで切り抜けていたケースが多かったのでは。

そもそも、上下水道・電気・ガス・通信の全てのインフラが止まってしまっていました。
電気はおおむね復旧してきているものの、上下水道に関してはまだ使えないところが多くあります。
ようやく復旧の見通しが具体的な数字で出るようになってきましたが、それでも少なくとも1ヶ月は先、春まで難しいという地域があります。

水が使えないという1点だけでも、避難生活の衛生環境悪化の原因になっています。

災害後すぐから、汚物であふれるトイレ。災害発生後10日後くらいから仮設トイレの設置が進んできたものの、まだ家のトイレは使えません。

既存の便器にビニールをかけて猫砂などを入れて対応続けている、という話も聞きました。

水が使えないとトイレを控える、だから水もとらなくなる。
料理も簡単な物だけになり、栄養価が大きく偏る。
風呂に入るのに14日ぶりという方もたくさんおられました。
みなさんの想像以上に、健康面への影響は大きいはずです。
地震の二次的な影響が心配です。

避難生活に必要な環境が整わない。これは、地震によって道路が壊滅的な被害を受けたことも要因です。

国道や県道などの主要な道路の多くがひび割れ、通れる道がない。

地震から一週間弱ぐらいは、自衛隊や県からのトラックも奥能登に入ってこれない状況がありました。
大きな車両が入れない。
だから水も食料も燃料もトイレも届かず、ボランティアや個人が小さな車で届けた物資がとても重宝された時期がありました。

交通網というインフラがやられてしまったのは大きい。それに加えて、土砂崩れなどで孤立が多発。

行方不明者捜索などの関係車両、医療系、電気工事車、給水車、通信車、自衛隊車両、、、

通れる道が限られる上に、こうした災害復旧従事車両が大量に入ってきたことで、普段10分の道に1時間かかるような渋滞が起こったりしています。
(3週間が過ぎて少しずつ改善されてきていますが、タイミングによっては大渋滞が発生しています)

渋滞と道路被害によって、行政からの支援物資が届きにくいこともありました。
地震直後はようやく届いたおにぎりが、届いた時には賞味期限切れになっていたことも。

そんな状況もあって、避難所にはお弁当が手配されていません。賞味期限に余裕のある、菓子パンや惣菜パンになっています。

毎日の食料のメインが菓子パン。もちろん、地震直後の食べるものがない時期は、パンがありがたかったのですが。しかし今は地震発生から3週間以上。

自炊ができないので、カップ麺などだけを食べている高齢者の方もまだたくさんいらっしゃる。

ようやく段ボールベッドが導入されはじめましたが、これまでは硬い床の上に薄い毛布を重ねただけで寝ている方もいらっしゃいました。
いまだ土足禁止にできないところもあります(衛生面から、本来は早めに土足禁止に切り替えたいところ)。

高齢化率50%をこえる市と町を含む奥能登地区。
避難所での高齢者の姿が圧倒的に多い気がします。

石川県などは、健康被害の拡大を防ぐためにも、1.5次避難や2次避難を活用して、ライフラインの整った地域での避難生活をすすめています。

しかし、1.5次避難所が福祉避難所化しています。
2次避難所(ホテルなど)で自立した生活ができない方がとどまっているため。DMATなど医療介護系スタッフが24時間巡回する必要があるエリアと、そうでないエリアが存在しています。
そうでないエリアでも、3軒に1つは車椅子か押し車があるくらいの状況です。

そもそも、被災エリアの福祉施設でも厳しい状況が続いています。

避難所に指定されていないため、物資が届きにくかったり、職員さんが出勤できずにスタッフの人手が足りないという課題も生まれています。
限られたスタッフで四六時中排せつ介助をされていたり、洗濯ができない衛生状態の悪い中で入居者さんの健康を維持しないといけない状況です。

 

入浴できない、洗濯できない、物資不足の中で、下着やシーツや衣類を使い捨てで対応していると聞きました。
そもそも平時から人手の余裕がない状態のところに、災害でかなりの負担がかかっています。

 

石川県珠洲市や能登町の高齢化率は50%超え。細かく区切ればはその平均よりも高い地域もあります。
今遠方へ避難している方も、避難所にいる方も、どうにか自宅で住んでいる方も、大半が高齢者です。

解体して新しく建てるのはもちろん、屋根を本格修理するには数百万円かかることもあります。今回被害を受けた家で再び住めるようにするのに、いったいいくらかけられるのか。はたして町の大半を占める高齢者にその出費が可能なのか。

さまざまな理由で、再建を諦める方も増えるでしょう。
そして、被害が大きかった地区や地域は、町をイチからつくりなおすくらいのことが必要です。

今回の地震は、一度落ち着いて復興までを考えた、広い視野で復旧を考えていかなければ進まない規模の災害です。

しかし、毎日の食事や生活環境の課題が大きすぎて、その対応で毎日が終わってしまっているように思います。

被災された方に最前線で対応している自治体職員や復旧の地元関係者も、ほぼ全てが被災者。
家族を金沢へ送り、自分は傾いた家から通っている職員さんもいらっしゃいます。復旧対応する方たち自身も疲弊している。

一つの市や町では対応できない規模です。もっと、県に、県がだめなら国にしっかりサポートしてほしい規模であると思います。もう少し大きな規模でサポート体制を見直してほしい。

 

1月1日に起きた地震。ここからまだ寒い時期が続きます。

2016年4月に起きた熊本地震は、直接死50名、関連死はその4倍の200名以上。持病の悪化や転院などによる影響もありますが、避難生活環境からのものもある。

今回もすでに関連死が報道されていますが、どれくらいの方が関連死となってしまうのか、現場のどのNPOも危機感を持っています。

低体温症、エコノミー症候群、自死、感染症、たくさんのリスクがある中で生活されている。もちろんたくさんの方の手で、少しずつ改善されていますが、圧倒的に足りていない。

地震から助かった命だからこそ、できるだけ守りたい。それは現場で動いている行政も民間も気持ちは一緒だと思っています。

しかし、どうにも改善できない避難生活の環境。
過去の被災地でできたような支援ができないような状況でもあります。
どの支援団体もある種の無力感を感じながら前線で活動しているはずです。

でも、NPOは救命はできませんが、命をつなぐための希望を届けられるはず。

助かったものを救い出して、一人じゃないよと食べ物や安心を届ける。
それだけしかできないけれど、少しは住民の方の支えになれると信じています。

阪神淡路大震災から29年。いったい、どれくらい被災地支援はアップデートできたのか、と疑問に思いながらも、できることを毎日少しずつ進めていきます。

071月/24

能登緊急支援

令和6年1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」により、犠牲となられた方々にお悔やみ申し上げるとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申しあげます。また、被災地域の皆様の安全確保を心よりお祈りいたします。

災害NGO結は、1月2日より現地入りし、行政や各災害支援団体と連携をとり、情報収集、支援活動を始めています。被害が複数市町村にまたがって広範囲に及んでいます。

すでに多くの災害支援団体が能登半島で活動を始めています。各団体がそれぞれ持つノウハウを、被災地にスムーズに届けることを目標とし、助かった命や家などを守り、いち早く復旧を進めるためにも技術支援のできる支援者やNPOを受け入れ、その活動調整を実施します。

日々の活動はSNSにて報告しております。

能登半島地震レポート①
能登半島地震レポート②
能登半島地震レポート③

奥能登を支援する、広域支援ベースにしぎしについてはこちら

今回の災害においても皆さまからのお気持ちを大切に、しっかりと支援に結び付けていきたいと思います。どうぞご支援の程、よろしくお願い申し上げます。

Syncable(シンカブル) シンカブルより、色々な方法でご支援いただくことが可能です。詳しくはシンカブルのサイトより確認をお願いいたします。現在、能登半島地震支援寄付プロジェクト実施中です https://syncable.biz/associate/saigaingoyui/

 

振り込み

銀行からのお振込での支援は、下記よりお願いいたします。
その際、大変お手数ではございますが入力フォームよりご連絡先のご入力を頂けますと幸いです。
活動が落ち着いてきたら(かなり先になってしまいますが)、記入いただいた連絡先などに活動報告を送付させていただきます。
入力フォームはこちらから

【ゆうちょ銀行の口座をお持ちの方】
ゆうちょ銀行
記号14760
番号6772101
名称 サイガイエヌジーオーユイ ユイ

【ゆうちょ銀行の口座以外からの方】
ゆうちょ銀行
店名 四七八(読み ヨンナナハチ)
店番 478
普通貯金
口座番号 0677210

 

物資で支援したい!という方はこちら

0612月/23

11月レポート

いわき

9月の大雨から、技術系の対応が続いてきましたが、少しずつ件数が落ち着いてきたこともあり、技術系アライアンスの拠点は11月10日に一区切りになりました。

一区切りと言っても、まだニーズもあるし復旧が終わったわけではありません。
ここで技術アライアンスが一区切りとしたのは、地元移行への狙いからでした。

いわきの地元組織として、「災害支援ネットワークいわき」という組織があり、もともと災害対応に動いていました。しかし、技術ニーズの対応は技術アライアンスが中心となっていて、どうしてもそこの連携体制の構築が難しい状況が続いていました。

外部支援者の我々には、技術やノウハウがあって毎日活動している。既存の地元組織が担い手となるならこれほどいいことはないのですが、担い手になるにはもう少し踏み込んだ活動体制を作ってもらいたいという思いがありました。

10日以降も、一部技術アライアンスメンバーが残って災害支援ネットワークいわきなどにノウハウの引き継ぎをしながら活動しています。

10月ごろから秋田・久留米の活動が落ち着いてきたことで、支援団体がいわきに集まる流れがありました。共同のベースや拠点で毎日顔を合わせて細かい話を重ねることができました。いろいろな課題がありますが、その解決のためにも、技術支援ができる支援団体のネットワーク強化ができればいいなと話しています。

水害が起こりにくい冬と春の間に、連携できる仲間たちとの協働を進めていければなと思っています。

 

沖縄

沖縄でも、少しずつ地域課題へのアクションや防災への取り組みに関わりたいなと思っています。今回はちょうどタイミングが重なったので、2つの取り組みに参加してきました。

 

・ワランチャークラブイチマン

日本語では、子どもたちのクラブ糸満。毎月、沖縄の伝統的な形の船サバニを使ったり、海での遊びを通して自然を学ぶ取り組みです。

水と触れ合う時間を作って、船の楽しさや海の怖さを知ったりする時間です。体を使って自然の中で遊ぶことが、たくさんの経験になって生きる力のもとになると思っています。それが災害時にも大いに役立ちます。

どうしても自然の中で育つ・遊ぶということが難しい世の中にもなっていると感じるので、こうした時間を作るお手伝いをしたいなと思っています。

 

・防災キャンプ@宜野湾

宜野湾市では、独自に市内の防災リーダーを育てる事業を実施しています。参加者を固定して、同じメンバーで何度もいろいろな研修をしていく形の事業です。たまたま、その一連の講習のなかの防災キャンプの日があったので、見学してきました。

実際に小学校の体育館を使って、自分たちで用意した寝袋や、行政備蓄のパーテーションなどを活用して一晩を過ごすプログラムでした。

大規模災害時の避難所の自習運営などの過去の事例もあげながら、避難所について考えて体験する時間でした。同じメンバーで班分けし、同じ班でいろいろな課題に取り組んだり議論をすることで、チームワークが生まれていました。班分けも、住んでいる地区で分けられているので、研修が終わった後でもこのつながりが活かせそうだなと感じました。

 

物資支援

台風19号の支援でご縁ができたりんご農家さんに、りんごをいただいています。

花粉用に植えられたりんごの樹(いろんな品種が混ざると良いりんごになるそう)なので、もともと商品にしないので、好きに収穫していいよと預けてくれている木があります。

夏に摘果・秋の収穫を、地元の信州ひとまるなどのメンバーに助けてもらいながら、今年も収穫できました。丸かじりに適した小ぶりな品種です。

今年も、東京で路上支援をしている「自立生活サポートセンターもやい」さんと「難民支援協会」さんにお預けしてきました。

どちらも、コロナの影響などで支援対象の方が段々と増えているようです。

難民支援協会のスタッフさんから聞けたお話では、コロナ禍で苦しい難民の方も多いが、コロナが落ち着いてきたことで、ここ3年ほど海外から逃げてこられなかった方が一斉に押し寄せていることが大きな原因になっているようです。支援対象が増えているせいで、幼い子ども連れなどより支援がが必要な方だけに絞っても、十分な支援が難しい状況のようです。

難民支援協会

たくさんの人手や支援を必要とする被災地ですが、余剰もあったり、時間がたてば、被災者ではなく支援者になることもできます。

災害というカテゴリーにこだわらず、つなげる支援を一つひとつ形にするお手伝いができればなと思います。

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2311月/23

10月レポート

久留米

 

災害発生直後から、個人所有の月極駐車場をお借りして、NPOの共同ベースとしました。
被災エリアの中にあり、広々使える場所が確保できたのは大変ありがたいことでした。(この場所は、地元メンバーのいるコミサポひろしまさんの紹介で見つけることができました)

この田主丸ベースに、結とコミサポがそれぞれコンテナをレンタルして設置。
重機やダンプもここに集まりました。車両や資機材・消耗品をそろえ、支援者も集まるような場所に。
朝夕の支援者の集合・解散だけでなく、災害VCのスタッフさんや近くから歩いて住民さんが来たり、いろいろな人が立ち寄りました。

車両はいろいろな団体が持ち込んできたり、貸しだしてくれたり、一時は重機4台、ダンプ6台(軽ダンプ含む)がそろっていて、いろいろなニーズにも対応できる体制になっていました。

 

こうした状況が作れたのは、サポウィズさんなどが車両を借りてくれた方たちのお力が大きいです。

ニーズが落ち着いたことから、こうした車両はそれぞれの場所(福岡・大分・広島・茨城)に回送。各地からお預かりした車両は、無事に返却できました。

借りていた駐車場の敷地自体も掃除。数日かけて綺麗になりました。
久留米の残ニーズもおかげさまでゼロになりました。

10月に入ってから、ベースを置いている近くの集会所の復旧サポートのニーズなども入ってきましたが、柔軟に動ける方たちのおかげで、平日に準備を進めて週末などたくさんボランティアさんが来てくれる時にまとめて対応してもらうことができました。

もともと田主丸のベースで活動してくれていた方たちは九州北部の方が多いので、今後もポロポロと出てきたニーズについては、日程を調整しながら対応しようと思っています。

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新潟

2022年8月の豪雨で被害を受けた新潟県村上市。

村上市の中で大きな被害があった小岩内地区で、感謝祭がありました。コロナ禍と昨年は災害のため中止されていたので、数年ぶりの開催だったようです。
ぜひお越しくださいとお誘いいただいたので、少し足を伸ばして北上してきました。

ちょうど今年の10月の頭に、地区に出されていた避難指示が解除されて、仮設住宅から戻ってきたばかり。
土砂崩れの元になった沢の奥は、まだまだ砂防の工事が進められていました。
土砂に飲み込まれた家屋は全部解体されたこともあいまって、災害直後からの景色とは大きく変わっています。

玄関が綺麗に復旧された集会所に、たくさんの住民さんがあつまり、美味しい料理とお話しを楽しんでおられました(ちなみに、この地区の習慣で感謝祭は男性が企画運営料理後片付けし、女性はお呼ばれするのみだそうです)。

崩れた場所の応急処置のみで、まだ本復旧の方向性が決まっていない場所もあり、これは今後の課題になりそうです。

他にも大きく崩れた法面の復旧が進んでいる場所がいくつかありましたが、まだまだ元に戻るには時間がかかりそうです。

引き続き、いろいろな機会で関わりたいなと思っています。

 

長野

 

北上したついでに、いつもお世話になっている長野にも。
久留米や各地に送る用のりんごをいただいた農家さんなどにご挨拶しつつ、今後のりんごの相談など。

 

しかし、80のじいちゃん世代がこんなに悪い年は今までになかった、と言うほど、凶作の年になったようです。
春の凍霜害で、花の蕾がやられてしまって実になれる花が少なかったこと、夏の猛暑が続いた上に全く雨が降らなかったことで、実ったりんごも熟成スピードが変わって色づきが悪かったり、収穫した時にすでに完熟してしまっていたりしたようです。

実は同じ北陸の新潟でも、夏の暑さと日照りでお米の出来がよくないらしく、2等品しかないような話を聞きました。

2023年も災害が各地で多発したり、東の方で台風の上陸が増えていたり、こうして農作物などに影響が出たり、気候変動の影響の大きさをいろいろな形で感じます。気候変動よりも、気候危機の方が言葉としてしっくりくる気もしています。

 

 

いわき

 

9月まで個人支援者としていわきで活動していた方に、技術アライアンス(NPO)と災害vcとの連絡調整役として動いてもらうように体制を変える提案をして、全体の動き方が変わりました。

今まではNPOや支援者個人がそれぞれでひろってきたニーズに対応した後で共有していた形でしたが、調整役が入ることで、少しずつ災害vcに集まったニーズに対応していく形へ。

ニーズの受付窓口を災害vcに一本化し、社協へもブロックの撤去や壁床はがしなどの技術案件の相談が届くようになりました。

こうした技術ニーズのやりとりなどで災害vcを運営する社会福祉協議会との情報共有が密になることで、「足の悪い方が(被災して1階が使えないから)2階で生活している」などの福祉ニーズの存在が分かってきました。

浸水した1階の壁や床をはがす、土砂の撤去を重機で対応するというような技術案件に加えて、前述のような福祉ニーズへは、1階の床をはって応急的に1階での生活ができるようにする、などの環境改善も対応できました。

濡れた畳をそのままにして生活している、床がベコベコで抜け落ちそう、大工を頼めなくて床がないまま、など経済的に厳しかったり、この先何をしたらいいのか判断できずに生活環境が悪化しているケースは少なくありません。災害発生から数か月経ってからこうしたケースが見つかることもあります。

しかし応急的に対応するのが難しい場合がほとんどです。

今回も、生活環境改善に必要な段ボールベットや畳などは支援物資を提供してもらったことで対応ができています。(ダンボールベッドやマットレスは:はままつnanetから、畳は藤岡災害ボランティアチームから)

こうした隠れたニーズを掘り起こすためにも、アウトリーチが大切です。いわき社協としても訪問調査をしたいという意向があったので、過去の訪問調査の事例として、村上市や久留米市のノウハウを共有しました。

そもそも、災害後に何をしたらいいのか分からない住民の方も多いので、住民向けの家屋相談会を実施。こちらは、地元の組織である災害支援ネットワークいわきが主催になり、技術アライアンスのメンバーが講師としてお話ししました。

 

伊豆大島

2013年の大雨によって大規模な土砂災害に見舞われ、39人(行方不明者を含む)が犠牲になった伊豆大島。当時支援に関わったご縁もあって、東京都社協さんの主催する研修会に参加しました。

火山噴火などで全島避難も経験のある伊豆大島は、毎年研修とスタディツアーを実施されていたのですがコロナなどで中止が続いていたようです。

今年は災害から10年の節目でもあるため、同時ボラセンの運営をされた方たちの話を聞きながら振り返り、翌日はスタディツアーとして現地を散策するスケジュールでした。

定期的に大きな噴火が起きている伊豆諸島。
また近いうちに大きな噴火があるかもしれないことを考えると、いろいろな備えが必要です。事前に個別避難計画を立てておいた方が避難の時に役立つなど、歩きながら色々なアイデアが上がっていました。

振り返ると、噴火による災害の支援はまだ本格的に関わったことがなく、過去の災害の資料館などで勉強する必要があると感じました。

0810月/23

2022年活動報告書

2022年度の災害NGOの結の活動報告書を公開いたします。
2022年度もたくさんの方にお世話になって活動ができました。ありがとうございます。

報告書PDF

環境負荷が少ない印刷方法で印刷した紙版もあります。
ご希望の方は、お問い合わせから下記をお知らせください。

・ご住所(郵便番号から)
・お名前
・電話番号
・希望部数

239月/23

8月レポート(久留米)

被災地支援NPOたちが団体の垣根を超えて、対応を続けました。

 

 

 

竹野地区以外の土砂災害現場の対応も始まりました。家屋が直接被害を受けることは免れたものの、家に迫った流木と土砂。一般のボランティアでの対応は難しいため、消防チームなどで流木の撤去などを対応してもらいました。

重機のニーズに福祉ニーズが絡まっているところもありました。

 

家の敷地内に土砂が入ってしまって、入浴介護車両が入れないためにお風呂に入れていないケースや、

家に土砂が迫っているが住民自身がいろいろな理由から土砂撤去に前向きでないケースなど。

社協さんを窓口に、包括支援センターや自立支援窓口など、もともとの支援機関と情報共有しながら、踏み込む深さをはかりながら、対応しています。

特に8月後半をすぎると、NPOチームに来るニーズの中で福祉ニーズに分類できるものが多くなってきた印象でした。

例えば

高齢のご夫婦で、床下と床上のギリギリ間くらいまで浸水した家。早くから大工さんにお願いして修繕を進めていましたが、自己資金では途中までしか修繕できず、置いていた畳がカビてきてしまったというケース。

資金を借りようにも、年齢などが原因で貸付を受けられず、このままでは畳がカビてしまった部屋は復旧できないからどうにかならないか、という相談が社協さんからありました。

ご支援でいただいたコンパネや中古の畳を活用して、生活できるように整えてもらいました。

外国籍で日本語が得意でなく、日本に身寄りもなく、生活保護を受けられていた方。被災した家は荷物が山程ある家で片付けにたくさんの人手がいるけれど、言葉の壁からボランティアさんの受け入れが上手く進められなかったケース。毎回リーダーや活動する人が入れ替わる災害ボランティアセンターからの派遣ではなく、メンバーを固定できて通訳ができるメンバーがいるNPO(コミサポひろしま)で対応。

市の担当職員さんとのコミュニケーションも難しく、片付け、引っ越し、生活環境の改善など基本的な復旧サポートの各段階で、あれこれ課題が噴出しました。

これら以外にも、生活面や経済面が心配な方や、復旧に必要な作業を判断できない方など、福祉ニーズや配慮が必要なニーズがいくつもありました。

こうした福祉ニーズや配慮が必要なニーズがボランティアセンターに集まってきたのも、ボランティアセンターから徹底的に訪問調査をした結果でもあります。

ボランティアセンターに訪問班を設置、過去の事例でも最大規模かもしれない被災エリア7,000件の訪問・ポスティングが実施されました。訪問で気になる案件などを個別支援班として、その後のフォロー体制を作ったことで、こうして福祉ニーズとなってNPOチームにも相談がきています。

今は災害対応として、コンパネや畳や家具などの支援物資や、技術的に対応できるNPOメンバーなど、リソースがあるためある程度の困りごとに対応が可能です。

しかし、これらのニーズは災害前から課題を抱えている場合が多く、普段からの対応ではリソース不足で課題解決が難しいと感じます。

だからこそ、災害という特殊な環境下で、どこまで切り込んでサポートをするかどうかが重要になると感じます。

 

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229月/23

7月レポート(久留米)

各地で大雨が振り、全国で大きな被害が再び発生しました。

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九州北部を中心に被害が発生。代表前原が先行して九州入りしました。6月頭から対応を続けていた海南市(和歌山)のニーズが落ち着いた段階で、本格的に九州の支援を開始しました。

佐賀:佐賀市・唐津市を中心に被害が発生。唐津市での土砂崩れとその他の地域では内水氾濫被害が発生しました。

大分:耶馬渓で有名な中津市や、2017年に大きな被害が生まれた日田市小野地区などで再び大きな被害が発生。避難指示が解除されないと入れない地域などが生まれていました。

福岡:2017年に大きな被害が発生した、朝倉市・東峰村などでも被害が発生。しかしこちらは農業被害などの方が多く、家屋被害は比較的少ない様子。広川町、うきは市、ではまとまった数の家屋被害が発生。久留米市では床上1,000件を超えます。

こうした被害が発生する中、被害件数の多かった福岡県久留米市で活動を開始しました。

久留米市での被害は大きく2種類

国道沿いなどの地域の浸水被害(広域)と、山間部エリアの土砂災害(狭いが複数か所に点在)

ボランティアセンター立ち上げは6年連続7回目という、浸水常習地区を抱える久留米市。
しかし今回は、過去に比較的被害が大きかった2020年の件数を上回りました。更に今までの被害であれば、町中エリアの内水氾濫でしたが、今回は山間部の土砂崩れ被害も加わりました。

内水氾濫と土砂崩れでは、必要な支援がそもそも違います。その違いをちゃんと頭に入れて対応するのは意外に難しく、今までのノウハウがそのまま活かせないという面がありました。

災害NGO結として、いつものように災害ボラセンと連携して技術ニーズの調整に入りました。
災害数日後には、コミサポひろしまが現地入り。久留米市田主丸町にメンバーの一人が住んでいて被災したことから、近所のお手伝いから活動を始めていました。

現地入りしたコミサポひろしまメンバーと合流し、現地を調査。被害の大きかった田主丸町田主丸エリアで、NPOの活動拠点を設けました。

田主丸町のまちなかの浸水家屋対応は、コミサポひろしまを中心に、床下もぐり案件・壁床はがし対応をできる支援者やチームが活動。

 

山手の土砂崩れ現場は、九州テクニカルネットワーク(ボーダレスファイヤー熊本DEFTOKYODRTJAPAN長崎)など重機隊が中心に。

災害発生当初は安全確保のため地域への立ち入りも難しい状態でしたが、地元の方とお話しながら、少しずつできるところからの対応を進めました。

今回は、今までのつながりを使って九州エリアの消防士がたくさん参加したことが、一つ特色です。

九州テクニカルネットワークのメンバーとして久留米で活動した、ボーダレスファイヤー熊本が、熊本の消防OBや現役消防のチームだからでした。被災地という現場最前線で、汗を流して実践しながら自己研鑽してくれる姿は、とても頼もしくあります。

各地で起こることですが、水害後の復旧ノウハウについてを住民が知らないために、ニーズになりにくいという現象が起こります。例年の内水氾濫対応のノウハウがあったことも多少影響しているかもしれません。

社協ボラセンでのニーズの掘り起こしを待ちつつ、活動で関わる家などで地道に声掛けを続けています。

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127月/23

6月レポート

毎年6月は梅収穫の季節。2011年紀伊半島大水害の時のつながりから、毎年この季節に和歌山へお邪魔していましたが、今年は緊急支援で滞在することになりました。

台風2号

台風2号と梅雨前線の動きにより、全国的に記録的な大雨になり、全国6県で線状降水帯が発生。

和歌山県、愛知県、静岡県、埼玉県、茨城県などで住宅の被害が発生しました。

和歌山県内では、海南市、有田市、紀美野町、かつらぎ町などで浸水被害が。海南市にのみ災害救助法が適応されましたが、その他の地域でもまとまった被害がでています。

床上約400件の県内で一番被害件数の多かった、海南市災害ボランティアセンターの運営サポートを実施。すでに災害VCに寄せられていたニーズから、床下の状態チェックなどNPOが対応したほうが良さそうなものをピックアップして対応しました。

寄せられたニーズを訪問していくと、ギリギリ床上〜床上30センチぐらいの被害が多い印象。

他の地域に比べて、築年数が古い家が多く、壁にも床にも断熱材が入っていない家の方が多かったです。畳下の床板も釘で留まっていない家がほとんどで、水害復旧の対応がしやすいケースが多いと感じました。

一方で、自然の力だけでの乾燥が難しかったり、サーキュレーターを入れてもなかなか乾燥が進まなかったりと、海沿い地域の湿気の多さもありました。そもそもシロアリ被害も多いようで、水害前から湿気ている状態の床下が多かったのではと推測します。

そうした和歌山の地域性も見つつ、乾燥のチェックを進めています。

また、知り合いネットワークのツテから、紀美野町の農地ニーズのお手伝いも調整しました。
水害のあった6月頭はちょうど田植えの季節。流木などが流れ込んだ田んぼを住民の方主体で復旧されている地区がありました。キーマンとなる方と話をしながら、田んぼを再開したり心理的負担を減らすためにのお手伝いを調整しました。

にんにこ被災者支援ネットワークわかやまのメンバーなどには、2011年に代表前原が一人で奮闘していた時期に出会っています。当時から結の被災地支援を応援してくれていたことがあって、定期的に和歌山に通っていました。

今回の台風被害を受けて、和歌山での活動のために半日で宿泊拠点を見つけてくれたり、おろそかになりがちな支援者の食事面もサポートしてくれています。有り難いサポートをいただいていると同時に、和歌山に支援に入ったのは、こうした関係性があるからこそだとも改めて感じます。そうした点では、和歌山の受援力やつながりという備えは、すごく大きかったとも感じます。

にんにこのメンバーや、そこから緩やかにつながっているメンバーが定期的に活動に参加してくれています。結が引き上げても、その地元メンバーが無理ない範囲で海南のサポートができるように、少しずつ引き継ぎをしながら対応を進めています。

ただ、どうしても限られたメンバーになってしまっているので、これをきっかけに少しずつ実働する和歌山の人が増えるといいなぁと思っています。

伝える活動

和歌山の緊急支援と並行して、もともと予定していた講演や研修のために、各地にお邪魔しています。

長野県佐久市社協さんからお声掛けいただいた、災害ボランティア研修には、長野の支援チームである信州ひとまるさんにも同席いただきました。

同じような研修スタイルで、今年の3月に沼津市さんにお呼びいただいた時に、しずおかまめっ隊さんにもご協力いただきました。この6月の台風2号の被害が、沼津でも発生、その対応にまめっ隊など静岡のチームが対応してくれています。こうして、研修などで顔を合わせていたからこそ、緊急期に頼れるネットワークになります。

一つずつ、こうしてつなぎながら、各地のネットワークを強くしていきたいなと思います。