東日本大震災によって、犠牲となられたすべての方に、謹んでお悔やみを申し上げます。今も家族を待ち続けている方、ふるさとに戻れない方、今も続く苦しみの中にいる方々へ、心よりお見舞いを申し上げます。
善意の人海戦術から専門職へ
あの揺れから、たくさんの人の人生が変わりました。
被災された方だけでなく、支援者と呼ばれる私たちもです。
みんなが目の前の現実をどうにかしなくてはという使命感で走ってきた15年だったのではないでしょうか。
2004年の中越沖地震以降、全国の社会福祉協議会がボランティアセンターを設置する方針になりました。
その仕組み化に向けて全国の社協が研修を重ねたことで、2011年には被災した市町村それぞれが災害ボランティアセンターを設置しました。
大きな被害を前にボランティアができることは限られましたが、一方でも土木の職人など幅広い人が支援に参入するきっかけにもなりました。
その後、技術を持たない人も現場で技術向上を図ってきました。
重機やチェーンソーを使う土砂流木撤去、水害後の家屋再生のための壁や床の撤去、床下に潜っての土砂撤去や消毒、屋根へのブルーシート張り、エアコン室外機の復旧など、技術系NPOの支援メニューはかなり増えています。
ここ数年で高所作業車を使うのも当たり前になりつつあり、使う資機材も本業と遜色ないものになってきました。
定期的に人事異動がある行政と違って、同じメンツで動き続けるNPOメンバーたちは、現場の対応技術や制度への理解も深まっています。
ただ、最前線を走り続けている人たちは本当に同じ顔ぶれで、全国で被災地支援を専門にできる人はごくわずかです。
先輩支援者の高齢化も進んでいます。
被災地支援一本ではまだまだ食べていけない。
切り詰めた生活とバイトをしながら支援に関わる人も少なくありません。
もはやボランティアでもない私たちの存在には、まだ適切な呼び名すらありません。
今後もやってくる大災害に対応するためには、専門家として成立する仕組みをつくる必要があると強く感じています。
そもそも、支援する側だけの問題ではありません。
どこの地域でも、災害に強い人が育ちにくくなっています。そしてそれは地域力の衰退につながります。
15年前より少子高齢化や社会課題の深刻化は確実に進み、どの産業でも後継者不足が深刻です。
地域に動ける人が少なく、担い手不足によって災害時にできる穴はどんどん大きくなっています。
能登で地元の人を見ていると、昔の仕組みがそのまま近くにある、災害に強い生活だと感じます。
家庭菜園で野菜をまかない、米も味噌も確保されている。敷地には、かまどやぼっとん便所が残っています。
コンビニでなんでも手に入る生活だから冷蔵庫は小さくてOK、な都会の便利で快適な生活とは真逆のものかもしれません。
便利を支えているものがなくなれば、途端に不便になる。
普段から生活の横に不便がある暮らしを、あえて選ぶくらいがいいかもしれません。
大規模災害時は外からの供給すべてに制限がかかります。
無数の便利に溺れた生活で、先人が重ねてきた知恵を少しずつ忘れていっています。
この先も便利ばかりが進化して、一人ひとりの生きる力が薄れてしまうのでは、と危惧しています。
未曾有の地震と津波被害から15年。
きっとまた大きな災害は起きます。
その時に後悔しないためにできることはやっておきたい。
便利に頼らず自分の力を伸ばしておくこと。被災地支援の専門家が増えるように、これからも働きかけること。今までの被災地から学び続けること。
結として、今後もいろいろな分野の仲間を巻き込みながら、学ぶ場づくりを進める予定です。
こうして15年ずっと走り続けるだけの支えを、たくさんのみなさんにいただきました。
苦しく悲しいことの先にあったたくさんの出会いに助けられてきました。
数え切れないご支援に改めて感謝すると共に、これからも一緒に被災地支援を通して今何が必要かを一緒に考え続けていただきたいです。
これからも結と各地でがんばっている被災地をどうぞよろしくお願いいたします。
